首で支えたジャーマン…猪木×小林戦が一番の名勝負

1974年 猪木屈指の名勝負・ストロング小林戦 伝説となったジャーマンは「実は得意じゃなかった」

10月1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木(享年79)。

燃える闘魂伝説の中でさん然と輝く名勝負がストロング小林との決闘、〝昭和の巌流島〟です。

生前の猪木が語っていた、衝撃フィニッシュの真実とは。

ジャーマンは得意じゃない

燃える闘魂史上、屈指の名勝負とされるのが、1974年3月19日に東京・蔵前国技館で行われ、ストロング小林を挑戦者に迎えたNWF世界ヘビー級選手権。

フィニッシュとして放ったジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)は、今でも伝説として語り継がれています。

〝神様〟カール・ゴッチ直伝のこの大技はここ一番でのフィニッシュに用いられ、多くのライバルたちを葬ってきました。

「俺、実はあんまりスープレックスは得意じゃなかったんだよ。ブリッジは良かったんだけど、アーチがきれいにかかっている写真を見たことがないからね(苦笑い)。ただ、やっぱりゴッチさんから教わって、形はできるけど実際に(相手の重心を自分に)乗せて落としたかっていうと、けっこう難しかったな。あまりそういうことは俺は得意じゃないんで」

猪木の両足がマットから浮いた

この試合の約1か月前、国際プロレスのエースだった小林が、突如フリー転向を宣言。

事実上の新日本VS国際のエース対決とあって、白熱の名勝負になりました。

最後は顔面血だるまの猪木が原爆固めで小林を沈めたのですが、その衝撃のあまり一瞬、猪木の両足がマットから浮いたほどだったのです。

「写真を見ると思い出されるね…。言われてみれば、確かに足がはねたなあ(笑い)。当時は今と違ってマットも硬かったからね。一発でのダメージが受けたほうはもちろん、自分にもあったんだよね。でも、そんなダメージを考えて俺はやってなかったから。首で2人の体重を支えた? ムッフフ…。まあ、その分、首が強かったから、俺は。そういえば当時、練習でブリッジをして、体重80~9キロの選手を5人乗っけたことがあるよ。首が強かったのと、割と体が柔らかくて、ブリッジでアゴまで返っていたから」

硬いマットはジャーマンも諸刃の刃

現代とは比べものにならない硬いマットで放つ原爆固めは、自らも大ダメージを負う、まさにもろ刃の剣。

「得意じゃなかった」とするのは、ファイター猪木の理想の高さゆえにほかなりません。

▽NWF世界ヘビー級選手権(90分1本勝負)
〈王者〉
○アントニオ猪木
29分30秒
原爆固め
〈挑戦者〉
ストロング小林●
※王者が初防衛に成功
(1974年3月19日、新日本プロレス・蔵前国技館)

ネットの声

「今年の始めに小林さんの訃報を知った時はショックだったな。そしてついこないだの猪木さんの訃報。この二人の闘いをリアルタイムで見られたことに今は感謝してます。国際のエースだった小林さんの挑戦を新日本のエースの猪木さんが受けて立つ。まさに夢の対決でした。力と技の素晴らしい攻防、記事の通り語り継がれる猪木さんのジャーマンは高さはあんまり無かったように思うけどまあよく小林さんを投げたなという印象でした。でもこの対決が皮肉な事に新日本、全日本、国際のパワーバランスが崩れていくんですよね。完全に新日本が軌道に乗ったというか。この二人の試合、馬場さんは忸怩たる思いだったんじゃないかな。あくまで俺の私感だけど。」

「たしか日プロ時代もドリーファンクと2度目の対戦の時はジャーマンで1本とってるはずだし、卍以上にここ1番のフィニッシュホールドのイメージだった。この必殺技の多様さや試合スタイルの幅の広さが猪木の魅力。この小林戦はDVDでみたり本で読んだりしたが、すべてを捨てて乗り込んでくる小林にファンの声援が多く、猪木はあえてヒールを演じ試合を盛り上げた。途中小林が大善戦したが最後は猪木がもっていく。まさに千両役者。ちなみに当時のスポーツ紙は東スポ以外撤退してたようだが報知以外はすべて1面。プロ野球のシーズン前ということもあるだろうが。中には【これは本物だ】の見出しもあったそう。世間からの注目度と実力日本一の称号という意味ではこの時点で最初の馬場超えを果たしたと思う。」

「馬場さんは「小林」といつも呼び捨てでしたが、猪木さんは「小林さん」と常に『さん付け』だったことに好感を持った母の助言でした
小林さんが国プロ離脱を考え始めた頃に全日と新日で激しい争奪戦が繰り広げられましたが、新日を選んだ理由が上記だそうです(単に年上の小林さんへの敬意だったのかもせれませんが)
絢爛豪華な全日のアメリカンプロレスに対し、日本人対決の凄さを見せつけた昭和の巌流島決戦。試合後のインタでの「こんな試合をつづけていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない」にも説得力十分でしたし、痺れまくりましたねぇ・・・」

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