紙の新聞は13年後には消滅!?読者から質が落ちたという声も!

このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも”質が落ちた”と苦言を呈される残念な理由

紙の新聞が「消滅」の危機に直面しています。

日本新聞協会が2023年12月に発表した2023年10月時点の新聞発行部数は2859万部と1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少しました。

2005年から19年連続で減り続け、7.3%という減少率は過去最大です。

2036年には紙の新聞は姿を消す計算になる

新聞の発行部数のピークは1997年の5376万部。四半世紀で2500万部が消えたことになります。

全盛期の読売新聞と朝日新聞、毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じです。

このまま毎年225万部ずつ減り続けたと仮定すると、13年後の2036年には紙の新聞は消滅して姿を消す計算になるのです。

昨今、朝の通勤時間帯ですら、電車内で紙の新聞を読んでいる人はほとんど見かけなくなりました。

ビジネスマンだけでなく、大学生の年代はほとんど新聞を読んでいません。

「デジタルで新聞を読んでいる」学生はごく一部

大学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」とアンケート調査をすると、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達しました。

一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だったのです。

この数には自宅通学生で親が購読している新聞を読んでいる学生も含まれているから、ごくわずかしか毎日読んでいる人がいない、ということになります。

たまに読むという学生も「レポートなどで月に数回程度読む」という回答で、もはや「紙の新聞」は学生の情報源ではないのです。

学生時代に紙の新聞を読んだことがなければ社会人になっても読む習慣はほぼないでしょうから、ビジネスマンが新聞を読んでいる姿をほとんど見ることがなくなったのも当然でしょう。

ますます紙の新聞の発行部数は減っていくことになるに違いありません。

デジタル新聞に移行しているのだから、紙の新聞が減るのは当然だろう、と言う人もおられるでしょう。

しかし、電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかなのです。

学生の情報源はタダのSNSが主体ですし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくありません。

つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見えるのです。

新聞社が儲からなくなり、人材も育たなくなった

紙の新聞の凋落による最大の問題点は新聞社が儲からなくなったこと。

新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは昔と比べて格段に忙しくなっています。

紙の新聞は日に何度かの締め切りがあったのですが、電子版は原則24時間情報が流せるから、記者にかつてとは比べ物にならないくらいの大量の原稿を求めるようになりました。

ハイヤーで取材先の自宅を訪れて取材する「夜討ち朝駆け」も減り、取材先と夜飲み歩く姿もあまり見なくなったのです。

新聞社も働き方改革で「早く帰れ」と言われるようになったこともあるでしょう。

新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいました。

そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのです。

儲からなくなった新聞社で人材枯渇が深刻化し始めています。

もちろん、それは新聞記事の「品質」にも表れます。

長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈されるのです。

また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化しています。

貴重な情報が隠されている「ベタ記事」が激減

最近の新聞からは「ベタ記事」が大きく減っています。

かつて「新聞の読み方」といった本は必ず、「ベタ記事こそ宝の山だ」といった解説を書いていました。

新聞を読まない読者も多いので、ベタ記事と言われても何のことか分からないかもしれません。

紙の新聞では1ページを15段に分けて記事が掲載されます。

4段にわたって見出しが書かれているのを「4段抜き」、3段なら「3段抜き」と呼びます。

これに対して、1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼びます。

そうした細かい、ちょっとした記事に、貴重な情報が隠されているというのです。

ところが最近は、このベタ記事がどんどん姿を消しています。

デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きいのです。

長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われています。

一見同じページ数でも、記事の本数が減れば、実質的に情報量が減ることになります。

細かいベタ記事に目を凝らして読んでいた古い新聞愛読層が新聞の情報量が減ったと嘆くのはこのためです。

「成功している」日経ですら電子版は100万契約にすぎない

一方で、細かいベタ記事がたくさん必要だった時代は、記者が幅広に取材しておくことが求められました。

駆け出しの記者でもどんどん原稿を出すことができたのです。

ところが、雑誌化すれば訓練を積んだ記者しか原稿が出せず、結果、若手の訓練機会が失われています。

これも記者の質の劣化につながっているのです。

それが中期的には紙面の質の低下にもつながるわけです。

紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としています。

デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるでしょう。

確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていけます。

デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になりましたが、電子版は100万契約に過ぎません。

紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたのですが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのです。

1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少しています。

「新聞の特性」自体が消滅しつつある

このまま紙の新聞は減り続け、消滅へと進んでいくのでしょうか。

本来、紙の新聞には情報媒体としての優位性がありました。

よく指摘されるのが一覧性です。

大きな紙面にある見出しを一瞥するだけで、情報が短時間のうちに目に飛び込んできます。

36ページの新聞でも、めくって眺めるだけならば15分もあれば、大まかなニュースは分かるでしょう。

その中から興味のある記事をじっくり読むことも可能です。

ネット上の記事は一覧性に乏しいうえに、自分の興味のある情報ばかりが繰り返し表示されます。

便利な側面もあるのですが、自分が普段関心がない情報が目に飛び込んでくるケースは紙の新聞に比べて格段に低いのです。

自分の意見に近い情報ばかりが集まり、反対する意見の情報は入ってこないネットメディアの性質が、今の社会の分断を加速させている、という指摘もあります。

そのような紙の特性を生かせば、紙の新聞は部数が減っても消えて無くなることはないのではと思われていました。

しかし、前述の通り、デジタル版優先の記事作りが進んだ結果、1ページに載る記事の本数が減り、ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつあるのです。

新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのでしょう。

ネットの声

「昭和50年代生まれなので、新聞に馴染み深い世代です。4コマ漫画も、将棋の対局も、書評も大好きでした。が…これらはすべてネットで代用できちゃうのが現代社会。
私自身も生活を切り詰めていくなかで新聞も読まなくなりましたし、娘たちはネット記事は読んでも、紙の新聞を読む習慣さえありません。一度途絶えた習慣を旧に復せしめるのはなかなか難しいでしょうね。」

「新聞に限らず、紙離れは小説、漫画、雑誌でも進んでる。
紙媒体の物を定期購読するとゴミが増えるので、時代に反するビジネスになってるよ。
タブレットに最適化された情報発信をすればネットニュースとは違う新聞の文化は残ると思うけど、
需要と供給が噛み合わないと消滅するしか無いんじゃない?
横開きのタブレットが隣の国で流行ってるし、電子版は工夫次第かと。」

「日経新聞を取っているが、昔に比べて文字が大きくなり(確かに高齢者にはありがたいが)そのぶん文字数は大きく減った。ただ事実を言葉足らずに羅列するだけに記事も大変大きくなったように思う。それに日経なんて、ただ数字のみの相場情報、広告が半分程度あり、紙面の内容劣化が著しい。当コラムよりも深刻なことになっていると思う。紙面の質をわざと落して、充実した電子版に読者を誘導するつもりなのだろうか?先日の値上げを機に夕刊を止めたが、1,000円で電子版が読めるのだが・・・ 他の雑誌(日経ビジネスとか)も1,000円で読めるなら考えても良いが・・・」

 

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