
国産初のミッドシップ『MR2』は、実はスポーツカーではなかった
ミドシップ・ラナバウト2シーター、トヨタ『MR2』。
1984年6月にこのクルマが発売となった時には「ほほぉ、トヨタもやるじゃないか」と思わせられたものです。
「第25回東京モーターショー」に登場
クルマそのものは前年の「第25回東京モーターショー」に『SV-3』の名で参考出品車として登場。
この時のトヨタのパンフレットを見ると「レーザーαツインカム16バルブ、4A-Gをつくりあげた時から、技術者の頭の中にはその理想的な置き場所としてミッドシップがあった」と書かれています。
“Fun To Drive”は当時トヨタが掲げていたスローガンでしたが、“Fun To Ride”な2シーターの室内空間をもつ、新しいスポーツカーとして企画されていることが「SV-3」で公のものになったのです。
初代MR2が渋くて好きです pic.twitter.com/FczDYmFuCw
— やまたつ (@tsutaya_rental) May 29, 2022
「あのトヨタがミッドシップスポーツカーを!?」
とはいえ市販型の『MR2』と見較べれば、内・外観とも、ほとんど固まっていたであろうことは明らかでした。
外観では市販型と違ったのはリヤスポイラー形状(確か当時の法規がからんでいた)やアンテナ位置(SV-3はルーフ、市販車はAピラー内蔵の引き出し式)くらい。
内装もシートなど色こそ違うものの、Gリミテッドなどのバケットタイプスポーツシートそのもの。
いずれにしても、あのトヨタがミッドシップスポーツカーを!?という驚きと、さすがトヨタ!と思わせられる入念な設計、作り込みと、既存パーツの活用が特徴でした。
搭載エンジンは1.6リットルの4A-Gを横置きとした4A-GELU型(と1.5リットルの3A-LU型も設定)。
16バルブツインカムで、グロス130ps/15.2kg-mの性能を発揮しました。
トランスミッションは5速MTのほかに、スティックタイプの新形状のシフトレバーで操作するATも設定。
G 、G-Limitedのそれは、ノーマル/パワー/エコノミーのセレクトパターン切り替え式のECT-Sが組み合わせられたのです。
MR2 SW20型
初代はカローラ/スプリンターベースであったが
2代目はベース車がセリカ/コロナ/カリーナ
エンジンも4A-GELU型 1.6L 直4からセリカで使わ
れていた同じ直列4気筒の2000cc
また当時世界初の試みとして、ステアリングの
切れ角に応じて光軸が左右に可動する、ステア
リング連動フォグランプ pic.twitter.com/Vf67pTmkmz— ヴァンちゃん(改) 2022 (@vampire2040Avon) June 2, 2022
実はカタログには“スポーツカー”とは書かれていない
ところで初代『MR2』のカタログだが、大人の配慮もあり、スポーツタイヤ、スポーツパッケージ、スポーツマインド、Joy Sportなどの表記は見つかるも、“スポーツカー”とはどこにも書かれていませんでした。
むしろ「背中にはふたりを酔わせるハートがある」「ピュア2シーター。それだけでプライベートの香り」「選ばれたふたりのために、この空間がある」といった風に、幅広いユーザーを対象にミッドシップ2シーターの走りの楽しさ、新鮮さを訴求する形をとっていました。
たとえば後の『86』のほうが、よほどピュアにスポーツカーであることを打ち出していた。カタログを見返すと、初代『MR2』は、意外にも表現上はマイルドなスポーツ性の訴求のしかたのクルマだったのです。
MR2は初代のAW-11の開発段階で
伝説のトヨタのトップガン
成瀬弘氏がサーキットを
試乗して下りて来てから開口一番
俺を殺す気か?と言ったのは
つとに有名— ちか ★???? (@ts93287015) June 5, 2022
ネットの声
「最初期に乗ってましたがスピンが速く怖い車でした。当時は車検が厳しく大変でしたがオーリンズのショックにタナベのサス、前後調整式スタビ、TRDの機械式LSDを入れてようやく落ち着いた感じになりました。ピーキーな車でしたが楽しかった。」
「トラクション良く加速良かったし、ノーズダイブ少なくブレーキも効いた。雨の日大きなカーブでは、スピンしやすかったし、スピンスピードが早かった。若い頃の思い出です。」
「初代AW11,そしてSW20、4型でジムカーナしてました。SWはタイヤサイズも15インチしか履けなかいし、サスペンションもストローク不足とピーキーな車でしたが、コーナーの立ち上がりで背中から押される加速感はさすがミッドシップでした。」