1945わたしの満洲脱出記 稲毛幸子 (著) ハート出版 (2022/6/20) 1,100円

婦女誘拐、強姦 ソ連兵に狙われた若い娘たち

もはや残り少なくなった体験者の一人としてこの記憶はぜひ遺しておかなければならない

大正生まれ、99歳の女性が戦争を知らない世代に贈る”遺言”

昭和二十年八月九日。凄まじい爆音が鳴り響いた。

ソ連軍参戦によって満洲、北朝鮮にいた日本人の運命は一気に暗転した。

神風よ、いずこにー 嘘でもいいから吹いてきて欲しかった

“五族協和・王道楽土”

かつて、多くの日本人がこのスローガンの元、満洲(現 中国東北部)に渡った。

当時20歳だった幸子も夫とともに満洲に渡り、現地で産んだ二人の娘と慎ましくも幸せな生活を送っていたがー。

現在では数少ない満洲引揚者の生き残りとして、当時を赤裸々に語る筆舌に尽くしがたい体験談。

日本人が決して忘れてはいけない記憶、語り継ぐべき歴史がここに。

初めての露兵侵入以来、今日で五日目。

日を追うごとに方々より色々と不穏な噂が次々と入ってくるようになりました。

これまでは物品の略奪だけでしたが、それだけでは済まなくなってきたのです。…(中略)…

私たちが一番恐れていた婦女誘拐、強姦がいよいよ始まりました。

狙いは若い娘たち。

彼等はこれまで各家に侵入し続け、既に若い娘さんのいる家を把握していたのです。(本文より)

目次
はじめに
北満の北安
ソ連の宣戦布告
露兵がやってきた
舞う注射針
女露兵現る
腕時計と露兵の知性
婦女暴行と拉致
隣家の悲劇
終戦
顔に味噌を塗る
北安脱出
新京行きの車内で
大都市・新京
「死の収容所」で見た風景
三人の全裸の兵隊
新京での新生活
真田虫
娘たちに命を救われる
西陣織の袋帯
射殺
劇薬との闘い
「マンマ、マンマ」
母の言葉
阿片との葛藤
生き抜くための名案
新京の冬
濁酒の販売を始める
新京市街戦
神風よ、いずこに
引き揚げ開始
病院船の中で
日本上陸
おわりに

「国策により傀儡国家満州に渡り、国に捨てられてほうほうのていで引き揚げてきた人々の体験談である。
終戦を迎え関東軍はそうそうに逃げたがそこに住む人々は置いて行かれた。毎日、やってくるソ連兵におびえ新京まで逃げる。そこで一年あまり生活するのだが何も持ってはいないが食べていかねばならない。筆舌つくしがたい苦労を重ねる。そんな中二人の娘をなくしてしまう。満州引き上げの話は「流れる星はいきている」「竹林はるか遠く」も読んだが又、違った意味での生き地獄である。2度とこのようなことをおかしてはならない。」

「私も 満州からの引揚者です。
私の場合は 少しは暖かい大連で1944年に生まれ、1947年1月に引き揚げました。
と 言っても 私はまだ2歳だったので何も記憶はありません。父は従軍していて、ロシアの卑劣な侵攻でシベリアに抑留されました。母一人で 4歳の兄と私を連れ帰って来たそうです。
親不孝の私は 当時の話を母からも、父からもちゃんと聞いてこなかったものですから、様子が全く分かりません。父も幸い 同年引き揚げてくることができ、帰国後生まれてきた弟と妹の6人での生活を送って来たのにです。後悔をしても もう父母は居ません。いろいろな機会をとらえて、当時のことを知ろうと思ってるのですが、困難を極めています。
そんな中で この本を知り 当時の満州での生活、引き揚げる時の様子が判るのではないかと、購入した次第です。
想像以上の苦労をされて来られたことに 涙も出ました。
今また ウクライナでのロシア兵の蛮行を聞くにつけ、ロシア人の卑劣な考え方に 憤りを禁じえません。」

「夫はある意味、徴兵をうまく逃れて(?)戦場に行くのは免れたが、妻子をかかえ、ドブロクを作ったりあれやこれやの「避難民生活」。昨今の「避難民」は国連やらいろんな支援物資をもらえるが、そんなレベルではとてもない。辛うじて屋根のある家を確保し、生きていくが…。やがて、二人の娘は死亡。夫婦だけが日本に戻ることができた。
食料をめぐっての見苦しいまでの争い……。」


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