心が震えるか、否か。 香川真司 (著) ミムラ ユウスケ (その他) 幻冬舎 (2021/4/7)

日本代表で長年、背番号10を背負い、欧州のビッグクラブで11年弱、闘い続けてきた。

欧州の主要リーグで3連覇するなど実績は日本人選手ナンバー1だ。

底知れぬ重圧にさらされ、迷い悩んだときに香川真司が大切にしてきた心の指針とは。

香川真司の、最初で最後の著作となる。

「脚光を浴びる一方で、数多くの失敗をしてきた。それに後悔もたくさんある。
紆余曲折の中で僕が何を考え、もがいてきたか、を記すことで
アスリートのみならず、多くの人の糧になることを願っている」(香川真司)

香川真司が日本を代表するサッカー選手になれたのは、小6の時の決断が大きかった。

生まれ育った関西から、縁もゆかりもない仙台へと引っ越したのだ。

小6のときに仙台の街クラブで経験した練習が忘れられず、「僕もこのチームでプレイしたい! 」、そう考え、祖母と二人暮らしを始めた。

そこでサッカーに没頭。やがて、頭角をあらわし、セレッソ大阪に加入。

そして、2010年に海外移籍をはたす。ドルトムントで欧州を席巻し、名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍するなど欧州で10年以上、踏ん張ってきた。

その間、多くのことを経験してきた香川が、栄光、挫折、苦悩、重圧を赤裸々に明かす。

1章 @SENDAI 13歳で縁もゆかりもない街へ。
2章 @OSAKA 恩人たちとの出会い
3章 @DORTMUND 熱狂を巻きおこす
4章 @MANCHESTER 期待と重圧、そして挫折
5章 @DORTMUND 原点に立ち返る
6章 @RUSSIA ロシアW杯ドキュメント
7章 @ISTANBUL 測りきれなかった、想いの強さ
8章 @ZARAGOZA→@THESSALONIKI 信念を貫く

香川真司/1989年3月17日生まれ。兵庫県出身。中学入学と同時に宮城県へサッカー留学し、FCバルセロナのジュニアユースに所属。高校2年生でセレッソ大阪に加入し、J2得点王に輝くなどクラブのJ1昇格の原動力となる。。2010年にドイツのボルシア・ドルトムントに移籍すると中心選手として、9期ぶりのブンデスリーガ制覇やクラブ史上初となる国内2冠に大きく貢献。2012年にイングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍してリーグ優勝を経験。その後、ドルトムント、トルコ・ベシクタシュJK、スペインのレアル・サラゴサで活躍する。日本代表には平成生まれの選手として初めて選出され、背番号10を背負い、2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯に出場。

ミムラユウスケ/スポーツライター。2009年ドイツに渡り、ドルトムントやフランクフルトを拠点に 約8年弱にわたって現地で取材。2016年に拠点を日本に戻す。W杯と日本代表の試合の取材も2010年 南アフリカ大会から続けている。世界各国で香川真司選手の話を聞き続けてきた。

「タイトルに全てが詰まってますね。本のネタバレは避けたいので詳しくは言えませんが、主に移籍の裏側に驚きました。香川選手だけの問題じゃなかったっていうのがね…。ぜひもう一度返り咲いて欲しい選手です!!応援しています!!!」


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