救いか、悟りか。
念仏か、坐禅か。
信心か、修行か――
今なお計37000の寺院数を誇る浄土真宗と曹洞宗。
それぞれの宗祖である親鸞と道元は、ともに鎌倉仏教の旗手として斬新かつ独創的な思想を展開、日本仏教の行く末を大きく変えた。
しかし両者を比較すると、「念仏(南無阿弥陀仏)と坐禅(只管打坐)」「救い(絶対他力)と悟り(修証一等)」など、極めて対照的。
同じ仏教を掲げながら、なぜここまで違うのか――。
多様で寛容な日本仏教の魅力に迫り、宗教の本質を問う。
ここ数日、「他力」について話すことが多くありました。日本人がかつてもっていた「他力的発想」ーたとえば「「おかげさまで」とか「ご縁で」とか」ーがどんどん失われていっていると発言したのですが、今日贈られてきた平岡聡『親鸞と道元』に「宗教の本質そして仏教の本質は「他力」にある」と。同意
— 龍谷ミュージアム元館長のつぶやき (@tirisawa) February 16, 2022
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