
昭和天皇に「なぜ切腹しないのか?」と訪ねたマッカーサー
第2次世界大戦後、日本は無条件降伏し、マッカーサーが昭和天皇に尋ねました。
「なぜ切腹しないのか?」
この質問に昭和天皇が答えた一言とは?
目次
日本無条件降伏
1945年8月15日、2度に渡り核爆弾を投下され、多くの死者を出した日本軍は無条件で降伏しました。
昭和裕仁天皇のラジオ放送は、多くの人の記憶に残っていることでしょう。
翌日の8月16日、日本海軍中将・大西龍次郎は日本が敗戦したことで、謝罪の感情から自宅で切腹しました。
彼は遺書を残し、犠牲になった戦友たちへの感謝と尊敬、そして日本が勝利できなかったことへの謝罪をしたためていたのです。
大西中将は15時間という長い時間苦しみ、そしてこの世を去りました。
大西中将のように、強い武士道精神を持っていた者の切腹は後を絶たなかったそう。
マッカーサーはそれを知り、裕仁天皇を風刺した形で尋ねたというのです。
「多くの大将が自害した。天皇はなぜ切腹しない?」
それに対して裕仁天皇は、短くこう答えたそうです。
「私は無力である。どうすることもできない」
切腹の文化
切腹は、日本独特の文化として知られる自害の方法です。
日本人が追い求めた「武士道」の精神であり、己の武士としての名誉を守るために、最後の手段として選ぶものでした。
武士の名誉を捨て、切腹せず命を長らえたとしてもそれは一生の恥でした。
心に責めを負わせるものとなり、その者の肩にのしかかるものになったに違いありません。
それは信仰にも似た一つの武士の生き方であったのです。
第二次世界大戦では多くの若者が「天皇万歳」と天皇に忠誠を誓い、死んでいきました。
それでは、昭和天皇はどんな理由で敗戦後、切腹という形を取らなかったのでしょうか。
一国の天皇であること
敗戦後、多くの大将は天皇に顔向けができないと切腹する道を選びました。
そこで多くの者が忠誠を誓った天皇が切腹し謝罪したら、日本は一体どうなっていたでしょうか。
間違いなくさらに多くの者が後に続き、日本は大混乱に陥ったことでしょう。
敗戦は一国の終わりではなく多くの処理をしなければいけません。
ある意味ここから再スタートであり、日本国民には敗戦から立ち上がるための一人の絶対的な指導者が必要でした。
そして天皇が切腹したなら、アメリカはさらに日本国民に大きな憎しみを抱かれたに違いありません。
マッカーサーも天皇の罪を追求することはせず、天皇が日本を引き続き治めていく事を望んだのです。
昭和天皇はそこを十分に理解していました。
その後、昭和天皇は1946年1月1日に「人間宣言」を出し、自らの神性化を否定しました。
昭和天皇に地位に関して変更がもたらされることとなり、日本は民主化への一歩を踏み出すこととなったのです。
ネットの声
「大西が死んだのは特攻隊を立案し無辜の命を奪った償いで当然。阿南が自決したのも責任を負ってのこと。日本の歴史を少しでも知るものなら天皇自らが自決することなどあり得ない話であり、この記事全体が歴史的無知を表しているいる以外のなにものでもない。
第一、マッカーサーが天皇になぜ自決しないかなどと聞くわけがない。その根拠はどこにあるのか聞きたい。
天皇に対しても、またマッカーサーに対しても失礼で且つ歴史に無知で無責任な記事と言わざるを得ない。
また、文章も言葉の使い方が未熟で稚拙である。」「大西を武士に例えるなど、この記事も歴史修正主義者の恥知らずか?こういう恥知らずが、多くの若者たちを無駄死に追い込んだのであろう。」
「大西中将の遺書に戦争に勝てなかったことへの謝罪があるのなら、敗戦を認めているということなので、「敗戦を受け入れられず切腹」というのは著者の勝手な解釈か捏造の類のように思えます。そうすると他の部分も多分に怪しく見えてきます。」