競合メーカーもスズキには一目置く?自動車メーカーの危機を救ったスズキ車たち
軽自動車No.1メーカーとしての時代が長く、その後も現在に到るまでプレミアム・コンパクトカーで成功しているだけに、「自動車メーカーとしての危機」など無縁に思えるスズキですが、ライバルと同様に苦しんだ時期はありました。
ここでは自動車メーカーとして軌道に乗れるか、軽自動車メーカーとして続けていけるか、GM傘下を離れてもやっていけるかという「危機」を乗り越えた、3台のスズキ車を紹介します。
目次
フロンテ(初代・1962年)
第1回日本グランプリにフルチューンで挑み、スバル360をブッチぎり!
初代スズライト(1955年)で初めて本格的な軽乗用車の量産に取り組んだものの、名車スバル360(1958年)の前には急に色あせ、結局は他メーカー同様、地道に軽商用車で足場を固めざるをえなくなったスズキですが、逆転のポイントは思わぬところにありました。
1963年に鈴鹿サーキットで開催された、第1回日本グランプリ。
「紳士協定破りで勝利した」のはトヨタだけではなく、むしろ紳士協定をバカ正直に守ったのがプリンスとスバルくらいで、オートバイでレースの実戦経験豊富なスズキもフロンテをフルチューンし、市販車の性能では絶対の自信を持っていたスバルを唖然とさせたのです。
宿敵スバル360を圧倒したスズキは自信を深め、ライバルとの争いを制して軽自動車メーカーNo.1への第一歩を踏み出しました。
スズキ フロンテ360
かなり状態のいい車両。これから公道復帰するのだろうか。
厳密には草ヒロじゃないけど(–;)#草ヒロ pic.twitter.com/lS7nkQuHjG— MARCH (@MARCH58607068) July 30, 2022
アルト(初代・1979年)
スズキだけでなく、軽自動車そのものの危機を救った軽ボンネットバン
1970年代、オイルショックによる省燃費化と、厳しい排ガス規制への対策を迫られた自動車の中でも小排気量で、超高回転型エンジンでパワーを稼げなくなった軽自動車は平凡で特徴が薄いクルマが増え、特色を打ち出しにくくなって市場自体が沈滞していました。
そこで当時の税制と、「実際には1~2名乗車がほとんど」というリサーチ結果を活かし、後席は補助程度、装備も徹底的に簡素化し、貨物登録の軽商用車ながら、実質的には軽乗用車として使う「軽ボンネットバン」として生まれたのが、初代アルトでした。
開発目標には及ばなかったとはいえ、「アルト47万円」のキャッチコピーは当時のユーザーに衝撃を与え、車両価格も税金も安いクルマとして大ヒット!
ほどなく、ダイハツなどライバル他社も同様の軽ボンネットバンを発売して軽自動車市場は息を吹き返し、初代アルトはスズキのみならず、軽自動車そのものの救世主となりました。
JR浜松駅新幹線構内に、スズキの初代アルト!?? pic.twitter.com/644BQt06Sk
— 荒沢株式会社 (@ARASAWAofficial) August 2, 2022
スイフト(2代目・2004年)
「GMの安いクルマ」からの決別
カルタスGT-iなどを除き、安い以外に取り柄がなかった2000年代はじめまでのスズキ小型車ですが、それは1981年に提携したGMから、安い以外はソコソコでいいバジェットカーを求められたから。
それでも走行性能、品質、実用性において最低限を満たしていたのがスズキの凄味でしたが、さすがにバブル時代に高品質化した他の日本車と差が開き、いつしかスズキの小型車は誰が買うのかわからないクルマが増えてしまいます。
しかし1990年代末にGMとの関係が薄まり、独自に高品質のコンパクトカー開発が可能になると、高品質だが安い!という素晴らしい世界戦略車、2代目スイフトを国内外でヒットさせ、「スズキの本気」を世界に知らしめました。
スイフトをベースに、ソリオなど優れたコンパクトカーを作るようになったスズキは軽自動車専業というイメージからも脱却、今後がさらに楽しみなメーカーへ成長しています。
【436】スズキ スイフト(2代目)
かつてのスズキの普通車は軽自動車がベースだったが、スイフトに関しては完全新設計プラットフォームを採用。そのため、先代より走行性能が大きく向上しボディは旧型比でねじり剛性1.3倍、曲げ剛性を2.3倍に高めた。室内外も大幅に質感が向上。世界中で大ヒットした。 pic.twitter.com/jPktANIR8X— 自動車CM図鑑 (@car_cm_2015) February 18, 2018