矢沢永吉とジョニー大倉は犬猿の仲って有名だったけど実は!?

矢沢永吉、キャロル元メンバーとの確執の真相は「ない」? 生前には恨み節も

矢沢永吉が7月19日、『ザ!世界仰天ニュース』に(日本テレビ系)にVTR出演。

かつて、オーストラリアで自身の身に起きた“35億円詐欺事件”の真相を語りました。

ロック界のカリスマ

矢沢は1972年、ロックバンド・キャロルのボーカルおよびベースギターとしてデビュー。

フォークソングが全盛だった当時、革ジャンにリーゼントでストレートなロックンロールは世間に受け入れられず、初ステージでは酔客からビール瓶を投げつけられるというハプニングもあったようですが、徐々に爆発的な人気に。

1975年4月、解散以降はソロとして活動。

数々のミリオンヒットと名曲を世に送り、ロック界のカリスマとして知られています。

不仲説が絶えなかった

キャロルの活動は短期間だったが一方で、メンバー内の不仲説も絶えませんでした。

長年にわたって矢沢と“冷戦状態”であるといわれたのが、故・ジョニー大倉さん。

2013年1月、『週刊新潮』(新潮社)のインタビューで、ジョニーさんは矢沢との確執について語っています。

同月、キャロルの曲をセルフカバーしたアルバム「アイ・リメンバー・キャロル・バイ・ジョニー」を発売したジョニーさんは、矢沢が作詞作曲したキャロルの名曲「涙のテディ・ボーイ」(1974年)と「夏の終り」(同)を収録しようとしたところ、矢沢の許可が出なかったと告白。

これにジョニーさんは、「(矢沢は)“キャロルは俺のもの”という意識が強い」と口撃しています。

また、ジョニーさんは矢沢が横浜・日産スタジアムで開催した2012年9月の40周年記念のライブについても触れました。

元キャロルのメンバーでリードギター・内海利勝が37年ぶりに矢沢と共演したことについて、「内海くんだけは呼んで(中略)僕には声もかけやしない。そういうひどいことを平気でする」と敵意をむき出しにしたというのです。

さらにインタビューでは、ジョニーさんが俳優としての活動が盛んになった頃、矢沢が「ギャラいくらもらってんだ」と声をかけてきたそう。

これに「相変わらず金にうるせえオヤジ」と皮肉を交えています。

また、矢沢がキャロルの肖像権や商標を管理することについては「美味しいところを全部持っていかれた悔しさがある」と“恨み節”をこぼしていました。

ところが2014年11月、ジョニーさんが死去。

葬儀には、元キャロルのメンバーが参列する中、矢沢の姿はなく、不仲説に拍車がかかる格好となりました。

両者の意外な一面も

しかし翌12月、ニュースサイト『アサ芸プラス』は両者の意外な一面をクローズアップ。

ジョニーさんは、1985年にある雑誌でのインタビューで矢沢とのエピソードを語っており、同サイトはこれを引用。

その内容は、

「一杯飲みに行こうと六本木の交差点で立ってたんだ。すると目の前にリムジンが停まってさ、窓が開くと矢沢がいたんだ。『何してるんだ』って言うからさ、これから一杯やろうと思ってって言ったら、『じゃあ、一緒に飲もうぜ』ってことになった」

とのこと。

矢沢は、高級そうな店をジョニーさんと飲むためだけに閉店まで貸し切ってくれたと明かしていました。

さらに2015年4月、ニュースサイト『ORICON STYLE』のインタビューにジョニーさんの長男でミュージシャン・ケンイチ大倉が応じ、両者の確執は「ない」と告白。

その理由として、ジョニーさんの闘病時に矢沢から激励の花が届き、ジョニーさんはうれしそうに「ずっと花を眺めてました」と打ち明けたのです。

また、両者を「本当の兄弟のようだった」と語り、近親者のみで執り行われた葬儀にも矢沢から花が届いたとも明かしました。

冒頭番組で矢沢は、2004年に全額完済をした際、行きつけの店でひとり祝杯を上げ「最高の酒だった」と笑顔を見せていました。

そのときと同じくらい、ジョニーさんと交わした酒も最高だったに違いありません。

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