2時間5分14秒の激闘!“アントニオ猪木vsマサ斎藤 巌流島決戦”
今から35年前の1987年10月4日。アントニオ猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦がおこなわれました。
目次
巌流島での無観客&ノールールの決闘
宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦場として有名な山口県下関市の巌流島。
そこにリングが設置され、前代未聞の激闘が繰り広げられました。
当時、猪木は44歳。藤波辰巳(現・藤波辰爾)、長州力、前田日明ら新世代がプロレス界の頂点でその求心力は徐々に低下していきました。
そこでぶち上げられたのが巌流島の無観客&ノールールの決闘だったのです。
マサ斎藤さんとアントニオ猪木さんの87年巌流島決戦、2時間以上にわたる戦いは心に残るベストバウトでした。
ありがとうアントニオ猪木。心より哀悼の意を表します pic.twitter.com/Bzcr1qAHaa
— もとけん@無料コミュニティ主 (@motoken045) October 1, 2022
命を削る大流血戦
後日談として猪木が当時、美津子夫人と離婚協議中だったことも明かされています。
巌流島決戦には150人を超える報道陣が集結。
試合は殴る、蹴るという原始的な攻防に終始し、猪木と斎藤は命を削るような大流血戦をやってのけたのです。
巌流島には記念碑にアントニオ猪木vsマサ斎藤のデスマッチが開催された旨も記載されてますねww pic.twitter.com/R0ZpT9AYvo
— tatsuyakay (@tatsuyakay) October 1, 2022
無観客試合の先駆け
日が暮れ、かがり火が焚かれる幻想的な空間の中、猪木は2時間5分14秒の闘いに勝ちました。
新世代にはない発想でインパクトを生み出した姿勢はさすがのひと言。
2020年、コロナ禍で無観客試合が各団体でおこなわれましたが、燃える闘魂はその原点とも言える問題作をプロレス史に残していたのです。
昭和プロレス大好き。
まさか、マサ斎藤のタイツが…ゼブラとは…
猪木さんもマサさんも
ジャンボ鶴田も三沢光晴も
みんないなくなっちゃったね。 pic.twitter.com/F16CWOJHP9— くろせい (@skuroiwa1) October 4, 2022
ネットの声
「1987年、アントニオ猪木とマサ斎藤は巌流島で無観客試合をやった。時間無制限、ノールール、テレビ中継もなし。決闘では警察が入る。だが興行でもなかった。猪木は2日前に離婚届を出し40度の熱を出していた。」
「猪木は1980年からアントンハイセルという早すぎたリサイクル事業に手を出してアリ戦の借金に加えて更なる大借金を抱え、佐川急便の佐川会長がその借金を肩代わりし、不倫スキャンダルを起こし、マサ斎藤と巌流島で何故か2時間も戦い、ミッコと離婚し、政治家となり、人質を解放し……」
「猪木さんの試合だと自分はマサ斎藤さんとの巌流島の試合が観たい。元々この試合は藤波さんと長州さんで組まれていたらしいけど、猪木さんが経営していた会社が破綻したり、当時の奥さんでもあった倍賞美津子さんとの離婚問題だったりとか色々あって猪木さんがやる様になったのね。」