3億円事件の犯人はわかっていた!?捜査員は確信

「3億円事件の後、急に金回りが良くなった男を取り調べると」 捜査員は「犯人の1人」と確信

1968年(昭和43年)に起きた3億円事件。

発生直後に捜査本部が目を付けた地元の不良少年・佐伯徹(仮名)は、警察の取り調べを受けることなく自死してしまう。

一度は捜査本部も捨てた「佐伯犯人説」だったが、時効を前に再びその可能性が検証されることになる。

そこにはそれなりの理由があった。

「急に金回りが良くなった友人」の存在である。

この人物は佐伯少年と同じ、地元の不良グループ、通称「立川グループ」の一員だったのだ――。

佐伯少年の友人

時効まで残り5カ月ほどとなった昭和50年7月。

土田国保・警視総監と鈴木貞敏・刑事部長は特捜本部に対し、「佐伯少年とその周辺関係者」を巡る再捜査徹底の特別命令を下した。

現場に燻る疑念や不満を汲み取った上での指示である。

「佐伯犯人説」に否定的だった名刑事・平塚八兵衛は引退していた。

「最後の捜査の主たる対象は、むろん、立川グループでした。その中で、事件後、急に金回りが良くなった人物が浮上した。青田正(仮名)=事件当時18歳=という男で、やはり車の窃盗常習者です。しかも佐伯少年とは親密な友人関係にあった」

と、ある元警部補。

「青田の家は貧しく、父親は病気で入院していた。本人も定職がなく、スナックを経営する母親にしょっちゅうカネを無心していた。それが事件翌年、喫茶店を開き、不動産会社を設立。昭和50年当時は、六本木に事務所を構えて株の仕手戦を手がけており、家賃が10万円以上もする代々木の外交官が住む家具付きマンションが自宅だった。何百万円もするムスタングやコルベットなどの高級外車を次々と乗り回し、ハワイの高級別荘まで購入していました。我々の間では“最後の容疑者”と呼ばれていた」

別件逮捕で取り調べ

警視庁が青田を別件の恐喝容疑で逮捕し、最後の大勝負を賭けたのは、時効まであと25日となった11月15日のことだった。

青田の取調べ状況を知る元刑事が述懐する。

「事件のあった時期以降、青田が動かしたカネは1億円近くになっていた。裏取りした結果、43~46年当時のカネが問題とされた。その間、彼は母親に750万円を渡していた。しかも事件の年の暮れに、友人に新聞紙に包んだ現金数百万円を貸していることも判明したんです。こうしたカネの出所を集中的に調べました」

青田は、母親に渡したのは、家と喫茶店を売ったカネだと説明したが、時期や金額が合わない。

友人に貸したカネの出所についても、秩父の知り合いから借りたものとしたが、警察がその人物に確認すると、嘘だということが判明した。

「奴が犯人の1人で間違いない」

「取調室では激しい攻防が続きました。しかし不測の事態が生じた。おかしな点を追及していると、彼が突然、ウワーと叫び、机や床に頭を打ちつけ始めたんです。調べ官が“出所を説明しろ”と更に迫ると“言えない”とだけ答え、また頭をぶつけ始めた。“なぜそんな苦しい思いをする。カネの出所を説明すれば済むだけのことだろう”と叱責したが、それには答えず、自傷行為を繰り返しました。自殺を図ろうとしているようなものです。マスコミに漏れたら、大変な問題になる。聴取にならず、時効の問題もあり、上層部の判断で取り調べは打ち切られました。結局、怪しいカネの出所ははっきりしないまま終わった。時間がなかったのが残念です。奴が犯人の1人で間違いない。もう少しで逃げ切れるので、必死にあんなマネをしたのでしょう」

12月4日、青田は釈放された。

10日が時効成立の日だったが、事実上、このときが3億円事件の迷宮入りが決定した瞬間だった。

先の捜査幹部が、改めて佐伯少年について振り返る。

「彼は“サツズレ”していて、警察が来たくらいで死ぬタマではない。普通なら自殺する理由がないんです」

昭和43年12月15日の夜、少年は父親と激しい口論となり、その後、謎の自殺を遂げた。

彼は可愛がっていた妹宛てに便箋2通の遺書を残していたが、実はもう1通、別人の遺書が、部屋から発見されていた。

彼の母親が書いたもので、〈私の遺骨は実家の墓に入れて下さい〉とあった。

「2人の遺書について、特捜本部の刑事が母親に質すと、“息子が便箋がほしいと言うので渡したが、まさか遺書を書くためとは思わなかった。私の遺書はずっと以前に書いたもの。息子を巡って以前から夫婦仲が悪く、死のうと思ったことがあった。遺書はその時のもので、便箋の中に挟んだまま、捨てるのを忘れていた”と苦しい釈明に終始しました。捜査員の多くが、“少年が、激怒する父親に3億円事件の犯行を告白し、両親は一家の将来を絶望した。母親は息子に『一緒に死のう』と諭した。しかし死んだのは少年だけだった”と思ったのも無理からぬことです。現場となった少年の部屋にはコップが2つあり、1つからは青酸カリの反応が出たが、もう1つからは何も出なかった」(同)

少年の遺書

少年の遺書には、概要こう記されていた。

〈死ぬというのは美しい。この世は醜悪だ。父も母も世間体ばかり考え、虚栄心だけで生きている〉

最後に、鈴木元主任警部は捜査をこう顧みた。

「私は、“捜査は広げ過ぎてはいけない”“ツボを押さえた捜査をすれば、絶対、ホシにつながる”と上層部に意見したが、聞き入れてもらえなかった。それを徹底していれば、必ず犯人に行き着いたはずなんだ。本当に悔しいね。私は、今でもあの少年が真犯人だったと思っています。そう思わなきゃ、刑事じゃないよ」

静かな語り口だが、細い金縁眼鏡の奥の眼光には、未だ刑事としての矜持が宿っているように見えた。

ネットの声

「だいぶ前にテレビ番組でこの記事と同様の事件内容を紹介し、カネ回りの良くなった人物についても追跡取材していました。
非常に有力な説だと思うのですが、今の科学捜査技術があれば証拠品に残る僅かな痕跡やDNA解析、青酸カリの出所特定などの確証も得られたのかもしれませんが、当時の捜査陣の主観に基づく捜査方針、手法など警察捜査の旧弊が事件を迷宮入りにしてしまったように思います。」

「素人考えだし記事は 詳細には触れていないのだろうけど、、
取り調べ中に机に頭打ちつけたり 自傷行為を繰り返すから取り調べを打ち切ったというのがすごく不思議な印象。」

「時効は捜査の打ち切りだけで、犯罪の罪は一生消えないようにしたらいい。
つまり、捜査は打ち切るが、犯罪の可能性がある場合は引き続き捜査するべき。この場合は怪しいとされる少年が追及されるべきで時効があるために
その罪が消滅するのはおかしい。」

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