衝撃の1970年…国産初のスペシャルティカートヨタ『セリカ』登場

国産初のスペシャルティカー! トヨタ「セリカ」という衝撃 1.6リッターDOHCエンジン搭載、あなたは1970年の閃光を知っているか

「未来の国からやってきた」――。そんなコンセプトを冠してトヨタ・セリカが登城したのは1970年。

このモデルが当時の社会に与えたインパクトとは。

「スペシャルティカー」という新しい考え方

トヨタ・セリカ。マイナーチェンジ後にラインナップに投入された、スパルタンスポーツ仕様の1600GTV。軽量ボディとしなやかな足回りを高く評価されたハンドリングマシンだった

「未来の国からやってきたセリカ」。

それはキュートなスタイリングと脚の良さ、スポーティーなエンジン、そしてリーズナブルな価格。

若者が求めるすべての要素が盛り込まれていたセリカのデビューキャッチフレーズです。

1970(昭和45)年の第17回東京モーターショー。

そこでは数々のコンセプトモデルを通じて日本メーカーの意気込みが表現されていました。

そのような中、トヨタが市販を前提に発表していたのがセリカだったのです。

トヨタ・セリカには、それまでの国産車にはなかったキャラクターが込められていました。

それは「スペシャルティカー」という新しい考え方です。

そのボディバリエーションは、スタイリッシュなクーペのみというラインナップ。

従来、こうしたスタイルは、シルビアなど一部の高価なスペシャルモデルのみに許されていたことです。

しかし発表から2か月後の12月に発売されたセリカは、最廉価モデルで57万2000円、最も高価なグレードでも90万円前後というお求めやすい価格で、スペシャルティの味を表現していたという意欲作だったのです。

加えてセリカには、スタイルの良さ以外にも強力な武器がありました。

それは新型の1.6リッターDOHCエンジンの2T-Gです。

エンジンや内外装を選べる斬新なシステム

DOHCといえば、それまで2リッターの3M、1.6リッターの9R、そして1.9リッターの10Rという3種類のユニットが、一部の特殊なモデル(トヨタ1600GTやコロナ・マークIIGSS)や高価なモデル(トヨタ2000GT)のためだけに用意されていたスペシャル中もスペシャル。

しかしセリカのデビューによって、わずか87万5000円でツインカムユニットのフィールを味わうことができるようになったのです。

さらにセリカにはユーザーの気持ちを刺激するユニークなシステムが用意されていました。

それがフルチョイスシステムです。

このシステムの内容は、基本的に3種のエンジン、3種のミッション、3種の外装、8種の内装の中から、ユーザーが好きな組み合わせを選ぶことができたというもの。

エンジンは1.4リッター、1.6リッター、1.6リッターツインキャブ。

ミッションは4速マニュアル、5速マニュアル、3速AT。外装はET、LT、ST。

内装はベーシック、デラックス、カスタムであり、それぞれにタコメーターなどのスポーツ装備を加えたS、さらにデラックスとカスタム内装ではS+ウッドパネルのSWも選ぶことができた。

ここまででピンときた人もいると思いますが、1.6リッターDOHCツインチョークソレックス/5速ミッションのGTは、専用のエンジン、外装、内装を備えるという、いわゆるフルチョイスシステムの一部でありながら、他の仕様は選べないグレードであり、セリカの中でも特別な存在だったのです。

ちなみにこのシステムは完全に自由だったわけではなく、1.4リッターはカスタム内装が選べなかったり、1.6リッターツインキャブはS以上の内装でなければ組み合わせることができなかったりといった具合に、エンジンのグレードに応じて選べる内装の種類は制限されていました。

1972年、新たなグレード「GTV」を追加

とはいえ、このシステムにより選ぶことができた組み合わせは実に62種(GTを含む)を数えることができました。

もちろんこの数字には、いわゆるオプション装備品は含んでいなかったから、パワーウインドウ他のオプションを組み合わせると、そのバリエーションは軽く100以上になったと思われます。

トヨタはこのシステムを導入する当たって、注文、生産、納車をコンピューターでトータル管理する新しいシステムを導入。

オーダーが入ったグレードだけを無駄なくラインに流すという離れワザを見せたのです。

セリカは、その丸みを生かしたキュートなスタイルと、GTに代表されるハイパフォーマンスエンジン、そしてリアに装備したコイルサスペンションによって、ハンドリングの良さも強くアピールすることとなりました。

1972(昭和47)年8月、発売から1年半を経過したセリカは初めてのマイナーチェンジを実施。

そして同時に、GTVという名の新しいグレードが加わったのです。

このモデルは、それまで最もパワフルなグレードながら装備的には豪華モデルといってさしつかえなかったGTに対して、装備を大幅に簡略化することで軽量化実現するとともに、ハードサスペンションやワイドラジアルタイヤなども装備するなどして走りを重視していたというもの。

このスパルタンな性格は、一種のモータースポーツベースモデル的なものだったと同時に、セリカの走りに注目するユーザーを強く意識したものとなっていたのが特徴です。

高く評価された、良好なハンドリング

1973(昭和48)年4月、セリカはハッチバックのLB(リフトバック)を、さらに翌1974年1月には2リッターDOHCの18R-Gを搭載した2000GTをラインナップに加えるなどして、バリエーションを充実させていきました。

その間1600GTと同じ2T-Gを搭載していたカローラ・レビン/スプリンター・トレノとの性格の違いは、軽量ボディながらリアのリーフサスペンションが災いしてワイルドな操縦性から逃れられないでいたレビン/トレノに対して、リジッドながらコイルスプリング+4リンクのセリカは、常に良好なハンドリングを高く評価されていたというものです。

なお、セリカGTがツーリングカーレースにデビューしたのは1971年秋の日本オールスターTS-Bだったのですが、デビューレースで1~4位を独占したほか、ハンドリングの良さを武器に1.6リッタークラスではレビン/トレノとともに数年にわたって無敵の快進撃を続けたのです。

初代セリカは1970年12月から1977年8月まで生産されるという寿命の長いモデルとなりました。

その背景に存在していたこと、それは基本コンセプトの確かさだったのです。

ネットの声

「当時私は箱スカGTXに乗っていたのですが、よく絡まれました。信号グランプリでは意外に負けなかったのですが、ある時知り合いのお店で2T-Gのセリカを運転させてもらえて思いました。私に負けたセリカユーザーは下手なだけだった。それだけの差がありました。もっとも、カローラレビンは更に上でした。あれには全く勝てませんでしたから。」

「車と会話ができるのが昭和の車たち今のクルマは何でも電気仕掛けで人が介入する余地が年々なくなってきている。便利で壊れなくて優秀なんだけど、本当にこれで良いのか。」

「まだ免許も取れない中学高校生時代の憧れの車でした。免許をとった時には、モデルチェンジして面白みがない車になっていたような・・・・。」



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