ホンダのスーパーカブは日本どころか世界でも大ヒット…その理由は??

ホンダの大ヒットモデル「スーパーカブ」は、なぜあれほどの人気を誇るのか

スーパーカブが日本で発売されたのは、1958年のことです。初代モデルの「スーパーカブC100」が登場して以来、実に60年以上経った現在も、その人気は衰えることを知りません。 

日本のみならず、世界160か国以上の人々から愛され続けているスーパーカブは、生産累計台数1億台(2017年10月現在)を突破。

この数字は、エンジン付きモビリティの中で世界最高記録を樹立しています。

世界的モデル「スーパーカブ」の人気に迫る

最近ではアニメや漫画の「天気の子」や「スーパーカブ」の中で、ヒロインがスーパーカブを乗りこなすシーンがあり、若者にも支持されるようになりました。

ビジネスバイクのイメージが強いスーパーカブですが、街中をオシャレに乗りこなすライダーを見かけることも少なくないでしょう。

では、なぜこれほどまでに高い人気を誇るのでしょうか。

スーパーカブが世界中の人々に支持される理由には、庶民が求めるモビリティのカタチを徹底的に追求したことにあります。

1958年の登場から現在に至るまで、メカニズムやシルエットなどの基本コンセプトは変わっていません。

細かな仕様の変更や新技術が投入されているにもかかわらず、基本設計は60年以上経った現在でも発売当初のままなのです。

一切の妥協を許さない、その完成度の高さが、スーパーカブの魅力といえるでしょう。

ちなみに、デザインを決めるうえで開発者の本田宗一郎がこだわったのが、タイヤの大きさです。

当時の日本の主要道路の舗装率が10%程度の時代に、走破性の高い17インチタイヤを採用。

これにより、悪路を走れるスーパーカブは日本だけでなく、道路事情が悪い海外の国々でも受け入れられるようになったというわけです。

また、女性にも好まれるように、乗り降りしやすいシルエットにも徹底してこだわりました。

通常のオートバイから、ガソリンタンク部分をなくしたような独特なスタイルと、スリムなボディでスカートでもまたぎやすく乗り心地のよいデザインを追求。

自動遠心クラッチがカブの代名詞

さらに、泥はねや走行風を防ぐ大型の樹脂製レッグシールドもスーパーカブの特徴です。

親しみやすく飽きのこない先進的なスタイルに、さまざまな工夫が盛り込まれています。

当時はまだ、50ccモデルのエンジンはコスト面から2ストロークが主流でした。

しかし、燃費が悪く排気音が甲高くうるさいうえ、白煙をまき散らすなどの欠点がありました。

静粛性と燃費に優れた4ストロークのエンジンを採用

そこで、最初から決めていた、静粛性と燃費に優れた4ストロークのエンジンを採用します。

当時としては驚異的な、最高出力4.5馬力を発揮する高性能エンジンと高い耐久性を実現し、この「4ストロークエンジン」の選択こそが、スーパーカブが成功を収めた最大の要因といえます。

クラッチ操作を必要としない「自動遠心クラッチ」を採用

さらに、スーパーカブの特徴のひとつである「自動遠心クラッチ」を採用したことも見逃せません。

コツが必要なクラッチ操作から左手を解放するという、画期的なアイデアの開発に成功しました。

そば屋の出前が片手運転でできるという、まさにオートバイの革命的な発明を成し遂げたのです。

こうして、1年8ヶ月の開発期間を費やして、1958年8月「スーパーカブC100」が世に送り出されることになりました。

発売年のわずか5ヶ月間で2万4千台が売れることになり、早くも大ヒット商品の仲間入りをします。

また、2年目には販売数16万7千台を突破しました。

当時の日本のオートバイの年間総販売台数が30万台ほどと考えると、驚異的な数字であることがわかります。

さらに、その年に日本で販売された二輪車総数の約6割をスーパーカブが占めることになり、いかに当時の過熱ぶりが凄いかがわかるでしょう。

ちなみに販売当初は、ほとんど宣伝広告活動はおこなわず、口コミで評判が広がったそうです。

商品の品質に絶対の自信があり、価格も手頃とあって発売前の「月間3万台」という強気の目標も現実味を帯びてきました。

そして発売3年目には、大規模な宣伝広告活動を開始。

それまでバイクに縁のない人たちにも広くスーパーカブの魅力を知ってもらうため、当時では異例の女性誌に広告を載せます。

そのほかにも、ユニークで斬新な広告を展開しつづけた結果、発売3年目には56万4千台を売り上げ、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで好調なセールスを継続します。

こうしてスーパーカブは、圧倒的な人気車種となりました。

ベトナムではホンダがバイクの代名詞

そして翌年の1961年には、単独企業で二輪車の生産台数世界1位に。

さらに販売開始から8年目の1966年には、生産累計500万台を突破することになります。

このようにスーパーカブは、人々の生活に溶け込み、唯一無二のモビリティとして定着していくことになったのです。

なお、海外に進出したのは、スーパーカブ誕生の翌年1959年のことです。

当時、移動手段としてクルマが一般的だったアメリカへ進出しましたが、年間販売数6万台とバイクの市場が小さく、販売当初は苦戦を強いられることになります。

しかし、アメリカ・ホンダの社員が通勤に、スーパーカブを使用する姿を目にした学生たちが興味を抱き、徐々に通学用として普及しました。

その後、1963年に展開された「ナイセスト・ビープル・キャンペーン」の広告が話題を呼ぶことになります。

たちまちスーパーカブの人気に火がつき、1965年にはアメリカのバイク市場をほぼ独占しました。

そして、段階的にヨーロッパ、東南アジアへと販路を拡大していきます。

特に東南アジアでの人気はすさまじく、購入したスーパーカブを大切に扱う国が多いのが特徴です。

インドネシアは、生産販売が年間500万台を超えた年があるほどスーパーカブがよく売れている国といえます。

ベトナムではスーパーカブを含め多くのバイクが走りまわっている

また、ベトナムは国のいたるところで大量のスーパーカブが走りまわっていることで有名です。

ちなみにベトナムの人々はバイクのことを「ホンダ」と呼んでいることからも、生活に深く根付いていることがうかがえます。

誰が乗っても扱いやすくコンパクトで高い実用性や、静かでパワフルなエンジンで低燃費、親しみやすいデザインに優れた耐久性など、誕生してから60年以上が経っても、これらの基本コンセプトが変わらないからこそ、スーパーカブは今も高い人気を誇っています。

ネットの声

「仕事で、背広着て通算8年のりました。革靴なので、リターンだと靴に傷が入りますが、ロータリーなので、つま先で、前と後の両方踏めます。クラッチ操作無し。ノーティダックスより、速度も速く、タイヤ径が大きいので安定してました。燃費良し。耐久性も十分。スクーターが多い現在ですが、これが良い。」

「「静かで低燃費の4ストエンジンを搭載し、スカートをはいた女性が乗れてソバ屋の出前が片手で運転できるバイク」という基本のコンセプトを最初に発案した藤沢武夫の存在は個人的に外せません。
当時藤沢は会社の経営を一任される立場にあった人物で、金銭面での才能が無い本田宗一郎と生涯にわたって戦友となる人物でした。
彼の持つ市場の需要を察知する才能と、本田宗一郎の類いまれな技術の融合。アイデアを出す天才とそれを形にする天才の組み合わせが成せる商品開発でした。
ちなみに独特のチェーンカバーは本田宗一郎の奥さんの「バイクはチェーンから跳ねた油が服を汚すから困る」という意見で搭載したそうです。
ユーザー目線の商品開発でスーパーカブは新たな客層を獲得。日本の次にアジアで無くアメリカで売る事を考えたのも藤沢武夫。ヒットの理由はアウトドアや学生の移動手段など、現代日本での立ち位置に似た存在だったそうです。」

「カブは操作も簡単、乗車姿勢も男女を問わず楽。チャリで言えばママチャリのスタイルに類似するか。そして大したメンテナンスしなくてもタフで長持ちするから商用車としても一般用にも大変重宝するバイク。意外と燃費も良いしね。つまり、バイク界のオールラウンダーなのがカブだと思う。いずれ50cc規格が無くなったとしても規格改訂版のカブは間違いなく登場するでしょうね。」

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