まさに波瀾万丈…さだまさしが29歳のときに背負った35億円の負債を30年で完済

さだまさし、29歳で背負った「借金35億円」を30年かけてどう完済したのでしょうか

売れたが故に映画に手を出した…

10月11日、シンガー・ソングライターのさだまさし(69)が前人未到のソロコンサート通算4500回を達成しました。

「1976年に故郷・長崎からスタートしたコンサート。昨年以降、コロナ禍で複数公演が中止になったが、福島公演で偉業達成。さだは『自分の歩幅で一歩ずつ歩いてきた途中経過』と、すでに先を見据えた発言、5000回も現実味を帯びる」(音楽記者)

3歳でバイオリンを始めたさだまさし。

中学進学を機に上京し東京芸大を目指したが、同大附属高校への進学を果たせず断念。

72年に友人の吉田政美とフォークデュオ・グレープを結成しました。

「『精霊流し』『無縁坂』などがヒット。当時の給料は30万円だったという。だが、さだが肝炎を患ったことなどもあり、4年で解散した」(同前)

ソロに転じた76年、「さだ企画」を設立し社長に就任(現社長は実弟)。

「前年に吉田拓郎、井上陽水らがフォーライフ・レコードを設立したように、大資本に介入されず、自分たちの音楽表現を追求したいというのが当時のフォーク歌手の“矜持”だった。さだの場合は著作権や原盤権もすべて自分でコントロールする形を取った」(同前)

「関白宣言」「親父の一番長い日」などヒット曲を連発、80年には長者番付の歌手部門4位にランクイン。

しかし本人曰く〈僕1人しかいないレーベルが売り上げでCBSソニーを2週間抜いた。それで僕は図に乗った〉。

その結果、映画製作という“禁断の果実”に手を出したのである。

映画製作で背負った35億円の借金をどう完済したのか

「81年、中国の長江を舞台にした映画を自分の資金で制作。ヒットはしたが、それ以上に制作費は膨れ上がり、35億円の借金を背負った」(芸能デスク)

当時29歳のさだまさしが選んだ道は“歌で返す”。83年の結婚後も年間100回以上の公演を継続。

30年かけて完済するに至ったのです。

「『次も来てくれるリピーターは半分。だから次も満員にするには、その人たちにもう1人ずつ連れてきてもらう』というモットーに基づき、とにかく観客に徹底してサービスする」(同前)

3時間の公演のうち1時間は、学生時代に落研で磨いたトーク。

テーマは故郷の思い出から曲の誕生秘話、ツアー先でのエピソードなど幅広いのです。

トークだけを集めたCDや本まであります。

「親子三世代にわたるファンも多く、これだけ客を掴んでいる歌手は演歌勢にもいない。借金完済後も、お客さんに育ててもらったのだから、お客さんに納得してもらえるまで走り続ける、と語っている」(同前)

まさしく“お客様は神様です”を地で行く男ですね。

ネットの声

「永ちゃんもそうだけど、常識的に考えてこんな金額の借金返せないだろうというのを、自己破産せずにしっかり返すのが尊敬する。借りたものは返すというのは当たり前のことだが、その当たり前をちゃんとできる人は本当にえらい。」

「3時間のライブのうち半分が喋りで、しかも芸人顔負けの面白さですからね。あるライブで「今日はあまり喋りません」と言ったら観客から「えー」とブーイングが来たという逸話がありますね。宇多田ヒカルさんのAutomaticの「It’s automatic」が「いつお泊り?」に聞こえて、「15の小娘が何を言ってるんだ。親の顔が見てみたいと思ったら藤圭子だった」というネタが好きです。」

「成功者には借金返済を推進力と馬力に変換して成功する人がいるんだよね。
もちろん40年前の35億なんてマジメに働いて返せる額じゃないから普通の人は心折れるだろうが…
アイデアや才能がある人なら、そこから成功も可能なんだろう。
もちろん、アイデアや才能がある人でないと、大きなお金は借金できない(お金貸してくれない)のもありますが。」



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