インドと女子高生と日本の現実 

ある日突然「インド」に放り込まれた「女子高生」が思い知らされた“日本の現実”

タピオカとプリクラと部活と放課後のおしゃべり……日本でキラキラの女子高生ライフを送るはずだった未来は、突然のインド行きでもろくも崩れ去った。

父親の転勤でいきなりインドに放り込まれたJKは、これまで何の興味もなかったインドでの暮らしに、ことごとく常識をくつがえされていく。

日本のJKによる、おかしくて真面目なインド滞在記『JK、インドで常識ぶっ壊される』より一部を抜粋する。

期待と不安を胸の中に秘めて

寝返りを打とうとして、身体が窮屈に固定されていることに気づく。

そうだ、飛行機に乗ってるんだった。

泣き枯らして重たいまぶたを開けてみると、きわめて人工的な照明がこれまた人工的な白い壁や天井に広がってできあがった、無機質な空間にいた。

あーあ、せっかくタダなんだからもう一本映画見ようと思ってたのに。

暗い機内、自分の頭上だけを照らすライト。そんなMVのワンシーンのような雰囲気に酔って、友だちからの手紙読んでたら泣けてきちゃって、そんでそのまま寝ちゃったんだ……。

いつの間にかまわりの乗客ももう起きてるし。もったいないことをしたとひとり嘆いていると、着陸体勢に入るというアナウンスが響いた。

「まもなく、インディラ・ガンディー・国際空港に到着いたします」

濁点が多くゴツゴツとしたその名前が、固い重しのごとく胸に乗っかる。

それによってぎゅっと凝縮された、不安と、緊張と、ほんのわずかな期待。さまざまなものが混ざり合った感情は、もうポジティブなのかネガティブなのかわからないほどに渦を巻いていた。

人生の節目。門出。呼び方は幾通りもあれど、ひとには誰にも環境ががらっと変わる時期がある。

子どもや学生なら入学・卒業、年齢を重ねていけば結婚や出産、そして就職、転職、昇進、退職などがそれに当てはまる「イベント」だろう。

そういうとき、大抵おめでとう、とまわりに言われる。節目や門出はおめでたいものだ。

飛行機に乗って国をまたいでいるまさにこの瞬間が、自分にとってのその「節目」なんだろうな、とぼんやり感じた。

海外に引っ越すんだから、新生活が始まるんだから、門出にちがいない。

十四歳で迎える人生の区切り、のはず。そのはずなのに、おめでたい気持ちがいまいちしない。

あと一年でつかめる「JK」という輝かしい称号を捨てて。居心地の良い友だちや部活動の輪を抜けて。

自分は一体、どこへ向かっているんだろう。

この無機質な空間に閉じ込められた八時間が終わる。

そうしたら、自分がいるのは生まれ育った日本でも、どこの土地や海の上かわからない雲の合間でもない。

そこはもう、インドだ。

不意に浮かんできた「カースト」

飛行機の振動がおさまり、シートベルト着用サインが消えると、それを合図にまわりが一斉に立ち上がって荷物棚からかばんを下ろし始めた。

自分も置いていかれないようにと必死におとなたちのまねをしながら頭の上に手を伸ばすものの、なかなかスーツケースをつかめそうにない。

見かねたCAさんが、代わりに取ってくれた。ドスンと音を立てて床に置かれたスーツケースを見ると、わたしの荷物だけHEAVYと書かれたラベルがついている。

まるで、日本への未練をパンパンに詰め込んできたみたいだ。CAさんも一瞬、その重さにひるんだようだった。

ターミナルビル内に入っても目につくのはインド人(と思われる)空港スタッフばかりだ。

ここでは、乗客に比べてスタッフの割合が日本の空港よりも圧倒的に高く、日本の十倍もある人口の差は、この国に足を一歩踏み入れた瞬間から明らかだった。

おそろいの制服を身にまとったスタッフが数人で群れて清掃をしていたり、電動カートにまたがっていたり、はたまた床に座り込んだりしている。

なんで座ってるの? と突っ込みたくなる気持ちを抑えながらよく見てみると、むらさきの制服を着た彼らとは別に、ワイシャツを着て首からIDを下げたスタッフもいる。

制服のスタッフたちは、みなうつむきがちで床のあたりばかりに視線があるのに対して、ワイシャツのスタッフたちは、胸を張り英語で外国人の客と会話をしている。

その明らかな差に、「カースト」ということばが不意に浮かんだ。

自分が住むことになる前から、インドといえばと言われて浮かべていた、数少ないもののひとつだ。

「インドのカースト制度は……」と社会科の授業で先生たちはいつも否定的なトーンで話していた。

いや、ちがう、と危ない響きをまとったそのことばをかき消そうとする。

日本だって、「空港職員」と「清掃員」は別じゃん。

そんなすぐに目に見えるものじゃないはず。

だけど、制服を着た彼らが、ワイシャツの彼らと比べてみな肌の色が暗いように感じるのは、気のせいだろうか……。

異なる国、異なる文化。

一面に真っ白いLEDが広がる日本の空港の近未来的な雰囲気とはちがう、鈍い鉄さび色のカーペットの上を進んでいく。

国の玄関である空港の様子がちがうのも当然だよね、と自分に言い聞かせながら。

空港から一歩踏み出すと、むわっと熱い肌触りと砂っぽく乾いたにおいに包まれた。

あたりの喧騒が、山吹色の空に響く。十時間ぶりに吸う外気は、五感のどれをとっても知らないものだった。

ほっと息つく間もなく車に乗り込んで、仮住まいの家へと向かう。

空港からしばらくの道のりは整備されており、格段におどろく光景もなかった。

な~んだ、思ったよりインドも荒れてないんじゃん。

ただ、沿道の青い芝生には、空から降ってきたかのような野良犬たちが横たわっていた。

首輪やリードにつながれず、ただ自由に転がっている犬たちの、安らいだ様子にほほえましくなる。

この程度なら、インドも全然いけそうかも。

ほかに目を引いたのは、ところどころに立つ電光掲示板に映る広告の、モデルの目力くらいだ。

いまや日本だったら「古すぎ~」と揶揄されてしまいそうな、目の上下を漆黒のラインで縁取ったアイメーク。

それによって、瞳よりそのまわりの白目が際立っているため、ギョロッとした目つきの印象を受ける。

眉毛は、細くつり上がっていて、ピンと気を張り詰めているような迫力と貫禄を漂わせる。

自信ありげに口角を上げた唇には、ビビッドピンクの口紅が光っていた。

これがインドでの「理想の女性像」なのだとしたら、どうやらここでは生気に満ちた力強い女性が好まれるみたいだ。

俗に言う“清純派”とは真逆の分類。ここでは、日本の「かわいい」は「弱い」になってしまいそうだ。

わたしの、毎朝こだわって巻いていた前髪も、薄づきになるように研究したナチュラルメークも、ここでは通用しないのだろうか。

そんな戸惑いを抱えながら、ハイウエー沿いのホテル群を眺めていた。

だが、ある地点から急に、視界が馴染みのない景色に覆われていった。

すいすいと広い道路を走っていたはずの車たちがぎゅっと集まり、もう車線はないに等しい。

どこからともなくごちゃごちゃとしはじめた道路の様子は、まさに混沌(こんとん)ということばを体現していた。

大勢の労働者が乗り込んだトラック。

ヘルメットもなしに家族四人がまたがったバイク。

緑と黄色のおもちゃのような見た目をした三輪の乗り物。

ときどき見かける真っ黒の外車。

それらの間を器用に泳いでいくさびた自転車。

ほんの一瞬、道路の脇に、足のない老人が地面をはっていくのが目に映った。

その混沌のなか、家族三人分のスーツケースが山積みになったバンの後部座席に座るわたし。

もう「この程度」なんて言っていられない。

やっぱり、すごいところに来てしまった。

車窓をノックする貧しい少年

未知の土地への不安と緊張でピンと張りつめたわたしの心臓に、突然電流が走る。

車窓をたたく音がした。

反射的にそちらに目を向けて、すぐ、また反射的に目をそらした。

心臓に流れた電流は一気にボルト数を上げた。

砂ぼこりにまみれた前髪の束の向こうに一瞬のぞいた、ふたつの瞳。

視線をグレーの座席シートに移しても、いましがた目を合わせた少年の姿が脳裏に焼け付くように浮かんだ。

色あせたボロボロの洋服。そこから生える枝のように細くやせこけた腕で、窓をたたいている。

こんな姿の子どもはいままで見たことがないはずなのに、彼がどんな境遇にいるのか察することができた。

そして、彼と自分とのあいだには、窓一枚よりもずっと大きな隔たりがあるのだろうということも。

車はまだ動きださない。

彼はまだそこにいる。わたしはまだ目を伏せている。

ガラス一枚の向こうに感じる気配と、伸びた爪が鳴らす悲壮な音に、心に走った電流は痛みに変わる。

やがて信号が変わった。車は、クラクションと排ガスの渦にまたのみ込まれる。

少年を置いて。

折れそうな腕を伸ばす彼も、空港のあのギラギラした免税品売り場も、おなじこの国の一部だなんて。

そうだ、自分はここで生きていくんだ。

十四歳の夏、こうしてわたしはインドに放り込まれた。

JK、インドで常識ぶっ壊される 熊谷はるか (著) 河出書房新社 (2021/12/24) 1,540円

日本でキラキラのJKライフをエンジョイするはずだった。

だけど、突然一家でインドに移ることに。

制服での映え写真。放課後はタピオカ片手にガールズトーク。

そんなアオハルを夢見ていたけど……。

「ごはんはカレーしかなくて、汚くて、治安が悪い」

そんなイメージしかないまま始めたインドでの生活はおどろきの連続。

「あったかくて鮮やか」。インドのイメージは、一変した。

外国人にもフレンドリーなひとびと。多様な食文化 。

心躍る豊かな出会いの一方で、折れそうな腕を伸ばし車窓をノックする物乞いの姿。

そして、高校生活のなか出会ったスラムの子どもたち――。

目に見える格差、目に見えぬ不条理。ステレオタイプの真相。光と影。内と外。

何も知らない女子高生だからこそ見えた景色があった。

日本の快適な暮らしに慣れ切ったJKによる、おかしくて真面目な「エモい」インド滞在記。

【本書の内容】
第一章 JK、インドへ行く
・不安と緊張とわずかな期待
・JKの夢やぶれて
・ベルトコンベアの先に待つ未来
・一台のバイクに家族四人が
・窓一枚よりも大きな隔たり

第二章 JK、インドライフにビビり散らかす
・「エスプレッソ」の男
・「デリーの台所」の大冒険
・ぎらりと光る赤い目
・ターバンおじさん、じつはレアキャラ
・はだいろという色
・JKとターバンおじさんの共通点
・JK、日本の美容グッズを“布教”

第三章 JK、インドグルメの沼に落ちる
・「火の神」の屋敷
・ぴえん超えてぱおん超えて真顔
・What I eatinaday ~インドJKの食事~
・「常識」だと思い込んでいたこと
・「映えない」ナンって何なん?
・インドで「竹下通りクレープ」に出会う
・「カレーの国」はカレーだけじゃない
・水炊きの呪い

第四章 JK、カオスを泳ぐ
・通学路は孔雀の溜まり場
・素手で蜂の巣とバトる男
・命がけのインド初ラン
・猿と駆ける
・ひとも動物も我が道をゆく
・コミュ力おばけのインド人おじさん
・「中流」ってなんだろう?
・タピオカがほしいわたし、明日がほしいあの子
・二月、ニューデリー駅にて
・Streets of Delhi
・THE WORLD CHILDREN

第五章 JK、スラムに行く
・ディディ&ガールズ
・Where are you from ?
・インドの数学が浮かび上がらせるもの
・「チャロ! 」の声を合図にして
・ハミングバードの一滴

終章 JK、インドを去る
・ロックダウン下の灰色の世界
・車窓からの景色を焼き付けていたいのに

著者について
熊谷はるか(くまがい・はるか)
2003年生まれ。高校入学を目前に控えた中学3年生で、父親の転勤によりインドに引っ越す。インドで暮らした日々を書籍化すべく「第16回出版甲子園」に応募、大会史上初となる高校生でのグランプリ受賞。2021年6月、高校3年生で帰国。本作でデビュー。

ネットの声

「高校生になったと言っても、身体的には大人でもその中身はまだまだ子ども。高校の3年間で、その中身は凄まじい成長を遂げることが多いです。著者はその期間をインドという異国へ放り込まれ、「常識ぶっ壊され」ながら逞しく成長していき、自分に出来ることに出会い、バイタリティに溢れてこの本を書き上げたと見えます。とても眩しく、清々しく、頼もしく、楽しく読ませていただきました。私は高校の教員ですが、新入生にはいつも「中身をどれだけ成長させられるかが高校生活で大事なことだ」と話し、期待を込めて3年間を見守ります。今度からはこの本を生徒に紹介し、何かを感じてもらえればと思います。」

「他のどんな本よりもデリーの日常が詰まった本。読んでいくうちに、私に今出来ることとはなんだろう?私がいま生きている意味とはなんだろうと考えさせられる一冊です。」

「正直、JK(女子高生)が書いたお気楽インドエッセイを想像していたが、思った以上に社会派で読ませる本だしインドでの生活のリアルが感じられて良い。(そういう本ではないのだろうけど)中盤くらいでどうしてもカレーを食べたくなりデリバリーした。pandemicにより海外に興味を抱く学生も少なくなっている気がするが、この本をきっかけに興味を持つ人が増えたら良いなと思う。」

 

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