国産GTカー黎明期に誕生した3台

「ベレG」「スカG」「2000GT」国産GTの夜明けに誕生したグランツーリスモ車たち

まだトラックやバスを一生懸命作って戦後復興期を支え、乗用車もほとんどがタクシー向けだった1950年代が明け。

アジアで初のオリンピック、東京五輪(1964年)が開催される頃になると、それまで実験的に少数生産されるのみだった国産スポーツが活性化します。

それに先出し、1963年には日本初の高速道路「名神高速」が開通し、鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリが開催。

すると国産車も本格的に高速性能を意識し始め、人車ともに高速長距離巡航に耐えうる「GT(グランツーリスモ)」需要の高まりが予想されました。

ここではそんな「国産GTの夜明け」といえる時代に誕生した3台のGTを紹介します。

いすゞ ベレットGT(1964年4月)

「ベレG」と呼ばれ、GTR(GT TypeR)も追加された本邦初の「GT」

いすゞPR90 ベレット1600GT

ヒルマンミンクス(2代目・1956年)やベレル(1962年)よりも小さい、いすゞ初の量販小型乗用車「ベレット」は、曲線美が映えるスタイリングや良好なスタイリングなど、新時代の実用大衆車として優れた資質を得ていましたが、同時にスポーツバージョンも計画されます。

それが同年の東京モーターショー(当時は全日本自動車ショウ)で発表され、翌年に発売されたベレットGTで、国産車としては初めて「GT」を名乗りました。

まず登場したのは1600GTで、次いでショーモデルだった1500GTも廉価版的なポジションで登場しますが、すぐに1500GTは廃止され、レースでも活躍した高性能版GTR(後にGT TypeR)が1969年に登場します。

直4OHVエンジンに高性能キャブレターの組み合わせは一見すると平凡でしたが、ベース車同様中回転トルクが太くて実用域での加速に強く、「ベレG」と呼ばれ愛されました。

プリンス/日産 スカイラインGT(1964年5月)

切った貼ったでグロリア用G7を強引に積んだ、最初の「スカG」

日産S54 スカイラインGT

第1回日本グランプリ(1963年)でレースへの認識の甘さから大敗、ライバルより自らの甘さに激怒したプリンス。

翌年の第2回で雪辱を果たすべく、新型スカイライン(2代目・1963年)のフロントを思い切って切った貼ったして延長、追加モデルのグロリア・スーパー6(1964年)用の2L直6SOHCエンジンG7を詰め込み、ウェーバーキャブ3連装でチューンしたのがスカイラインGT。

レースの参加規則を満たすべく100台限定で生産、第2回グランプリでは突如参戦したポルシェ904に敗北するも、一時はトップを走って「スカG伝説」を生みました。

この活躍でスカGは人気となって量産化、3キャブ仕様(GT-B)、ウェーバーキャブ不足から生まれたシングルキャブ仕様(GT-A)が生まれ、次世代のスカイラインGT-Rへとつながっていき、現在のV37型でも3リッターV6ツインターボを搭載した「スカG」は健在です。

トヨタ 2000GT(1967年)

「GT」として開発された初の国産車であり、初の国産スーパーカー

トヨタMF10 2000GT

多くの国産「GT」が既存車のGTグレードとして登場したのに対し、国産車で初めて最初から「GT」として開発、発売されたのがトヨタ2000GTです。

映画「007はニ度死ぬ」でボンドカーとして登場したオープンカー仕様や、スピード記録、レースでの活躍から国産初のスーパーカーという認識も強いのですが、レースの活躍も耐久レースが多く、快適な長距離高速巡航を得意とするGTこそが2000GTの本質。

クラウン用M型をヤマハがチューンした3Mエンジンも格別ピーキーな性格ではない、上質な走りを信条とするDOHC2バルブエンジンであり、むしろ国産初期の傑作GTですが、戦後日本車史の名車として人気は高く、オークションではソコソコ高値がつきます。

むしろスポーツGTとしては、3代目コロナをベースに9R型DOHCエンジンを積み、スカイラインGT-Bへ引導を渡した弟分1600GTの方がふさわしいかもしれません。



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