火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟 藤川球児 (著) 日本実業出版社 (2021/1/16)

「火の玉ストレート」を代名詞に、プロ野球界に鮮烈な記録と記憶を残した藤川球児が、引退後はじめて語る、 栄光と挫折の裏側。

これまでいかにして幾多の壁を乗り越え、選手として、人として進化、成長をしてきたのか……。

その想いや考え、日々実践してきたこと、勝負哲学、上達論の数々が、今ここに明かされる。

多くの野球ファンや野球少年、そして今年、野球をやりたかったけれどできなかった若者たちに向け、常に全力を尽くし、努力し続けることは無駄ではないと説く。

前を向いて進むことの大切さを伝える、珠玉のメッセージ。

出版社からのコメント
◎阪神タイガースのレジェンド・藤川球児、現役引退後にはじめて明かす「勝負の思考と哲学」
◎魔球の誕生秘話やメジャーでの苦闘の真相など、知られざる事実と野球人生のすべてを語り尽くす

■鮮烈な記憶を残して、球児は生きる伝説となった
2020年シーズンを最後に、「火の玉ストレート」を武器にプロ野球界に鮮烈な記憶と記録を残した藤川球児氏が引退しました。
1999年、ドラフト1位で阪神に入団しリリーバーとして大車輪の活躍。
メジャーリーグ挑戦を経て、再び阪神のクローザーに。
そして引退した今、仲間たちやファンに伝えたいこと。
本書では「火の玉ストレート誕生秘話」をはじめ藤川氏の勝負・人生哲学、上達論をはじめて語ります。

■メジャーでの苦闘の真相をはじめ、今だから伝えたいこと
彼の野球人生は順風満帆だったわけではありません。
とくにメジャーリーグ挑戦時には、ケガに加え、「理不尽な壁」との闘いに心身を削らざるを得ませんでした。当時直面した状況について藤川氏は沈黙を貫いてきましたが、引退後初の著書となる本書で、その真相が明かされます。

著者について
藤川 球児(ふじかわ きゅうじ)
1980年7月21日生まれ。高知県高知市出身の元プロ野球選手。高知商業高校から1998年ドラフト1位で阪神タイガースに入団。
2005年、「JFK」の一角として80試合に登板してリーグ優勝に貢献。06年シーズン途中からクローザーに定着。以降、絶対的守護神として活躍。07年には日本記録となる46セーブをマーク。
13年にメジャーリーグ、シカゴ・カブスへ移籍もケガのため、オフにはトミー・ジョン手術を受けた。15年はテキサス・レンジャーズで故障からの復帰を果たすも、5月にメジャー40人枠を外れ自由契約となり、四国IL高知へ。
16年に阪神に復帰。17年は52試合に登板し、ベテラン中継ぎとして投手陣を取りまとめる。20年シーズン終了時点におけるセ・リーグシーズン最多セーブ記録保持者(46セーブ)であり、現役最多セーブ記録保持者(243セーブ)として、同年かぎりで現役を引退。
■twitter:@kyuji22fujikawa
■instagram:fujikawa_kyuji22
■YouTube:藤川球児の真向勝負

鮮烈な記憶を残して、球児は生きる伝説となった(写真は本書より)

2020年シーズンを最後に、「火の玉ストレート」を武器にプロ野球界に鮮烈な記憶と記録を残した藤川球児選手が引退しました。

1999年、ドラフト 1 位で阪神に入団しリリーバーとして大車輪の活躍。苦闘を強いられたメジャー挑戦を経て、再び阪神のクローザーに。そして引退した今、仲間やファンに伝えたいこと。

本書で藤川氏は、「火の玉ストレート誕生秘話」「メジャーリーグでの苦闘の真相」等のエピソードに加え、勝負・人生哲学や上達論を、引退後初めて語ります。

「ストレートがくるとわかっていても打てなかったという、阪神タイガース最強のストッパー・藤川球児投手がそこに行き着くまでの試行錯誤、知られざる紆余曲折がこの本には丁寧に描かれていて、輝かしい功績の陰の部分も知ることができました。
JFKの時代はもちろんですが、とくに心に残ったのは、大リーグから復帰して、再び這い上がるシーンでは読みながら一緒に戦っているような、読んでいる自分のほうが鼓舞激励されているような気持ちになっていました。」

「冒頭のプロローグから涙した。
・火の玉ストレートが誕生した超意外でシンプルな理由
・清原、ウッズとの真っ向勝負
・メジャーで起こった衝撃の出来事
・なぜ、独立リーグに行ったのか
・阪神に戻ってきてから活躍できた理由
・引退に向けて、最後の道のり
読みながら「当時の自分はあんなことをやっていたなぁ」などと振り返った。
それだけ球児は、ずっと阪神とともにいてくれたんだなと、あらためて感じることもできた。
最後は余韻に浸りながら、「あらためて球児ありがとう、お疲れさまでした!」と言いたくなった。」


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