資本主義社会の「弱者男性」論
冴えない、裕福でもない、特別な才能もない平凡な人生を幸福に生きていく――
男たちの新しい生き方のモデルを提示する意欲作
〝男らしさの呪縛″から解放されよう!
現在の男性たちには、案外、低く鈍く冴えない人生を幸福に生きていくというモデルがあまりないのではないか?
極端にマッチョな「男らしさ」だったり、
家父長制度的な意味での父親像だったり、
自己啓発的に勝ち抜けるような男性像だったり、
リベラルでスマートすぎる男性像だったり……
そのような「男」の人生のモデルはあるけれども、それ以外にもいろんな選択肢や「物語」があってもいい。
「ぼくたちもだらだら、まったり楽しんでいい!」
(内容[一部])
- 多数派男性の中の「弱者」たち
- 「男性特権」が糾弾される
- 男性たちはなぜ不幸なのか
- 被害者意識のダークサイドに堕ちないために
- 統計にみる日本の男女格差
- 男たちのタテマエ、ホンネ、本心
- 「すみっコ」としてのおじさんたち
- 男たちにもセルフケアが必要だ
など
結局通勤電車で杉田俊介さんの『男がつらい!』読んじゃってますが、1921年に安田善次郎を刺殺した朝日平吾という青年を橋川文三が「何の身分をも代表していない/下層中産階級の破滅型の人物」と評しているというのにはハッとした。20世紀前半、イギリスでも破滅型の下層中産階級男性は問題となって
— 河野真太郎/Shintaro Kono (@shintak400) October 12, 2022
「スポットライトが当り難い今まで放置されがちな弱者男性問題に向きあう良書。弱者男性の為の人生の物語モデルみたいな構築は急務の問題だと同感しました。相も変わらずの映画分析が鋭利な程に鋭くて読み心地が他の書籍では味わえない位に良かったです。『ジョーカー』や『ドライブ・マイ・カー』などの分析が耐え忍ぶ結論までに到達する希有な長熟な論考となっております。脱線しますが丁度、同日出版される福嶋亮太氏の『書物というウイルス』の『ドライブ・マイ・カー』の論考と比較したくなってしまいます。ちょうど個人的には読書体験がマーフィーの法則では無いのですが、シンクロニシティが起こって凄すぎた感がありました。都会の喧騒から離れた地で静かに過ごしたい気にさせられました。また、希望のあるやさしい気持ちにしてくれる一冊でした。それにしても新自由主義の失われた時代、ロスジェネ世代の敗北者たちは安易ですが現代のヨブ記的なところがあると多いに思った。やはり安易な自己啓発的なものは短期的な鎮痛剤なので信仰?に似たものが必要なのかも。自分もまた弱者男性の一人としての一介の木偶坊(デクノボー)であるところの感想ですが…。」
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