坂本龍馬はパチモンだった!?薩長同盟も船中八策も…

教科書の削減候補に入れられた幕末の志士・坂本龍馬。

彼は「船中八策」を作っていなかった?

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ドラマや時代小説などで「日本史ブーム」が続いています。

と同時に、「覚えていた年号と違う」「戦国時代のヒーローは別人だった!?」などと、

歴史の見解の変化に驚かされることも――。

教科書から消える危機にあった龍馬

私たちは歴史小説や時代劇の主人公に心を動かされるもの。その最たる例が坂本龍馬だと思います。

しかしその龍馬も、近年、教科書から消える可能性がありました。

2017年、大学と高校の教員でつくる研究会が、日本史教科書に登場する歴史用語を精選すべきだと提言。

坂本龍馬を削減候補に入れたのです。

龍馬といえば、薩長同盟を仲介し、大政奉還を建言して実現させた偉大な人物。

高知県知事の反対表明もあり、研究会は龍馬削除案を取り消しました。

なぜ削減候補に入ったのか

しかし、研究会が削減候補に入れたのには理由があるのです。

まず「薩長同盟」。実は、龍馬が仲介したと言われてきた1866年の前年に、すでに薩長の同盟は成立していたという新説があります。

また龍馬が来る数日前に同盟は成立しており、後日、桂小五郎がそれを文章化し、龍馬に裏書を求めただけ、という説も。

では「大政奉還」はどうでしょうか。大政奉還を幕府に勧めたのは、土佐の後藤象二郎で、象二郎は龍馬からこの策を教えられたといいます。

その際、龍馬は「船中八策」という新政権構想を長岡謙吉に書かせて、後藤に提示したとされています。

しかし最近、龍馬は「船中八策」を作成しておらず、明治以降の龍馬の伝記のなかで形成されたフィクションである、という説が出てきました。

龍馬と船中八策の説は、明治時代になってから土佐の人々が創作したもののようです。

それでも龍馬はすごかった

坂本龍馬というと、ブーツを履いて懐手の写真が有名です。

欧米の新しい文化・技術に魅かれた龍馬の写真は6種類あります。

筆まめで約130通の書簡も現存し、龍馬の自由闊達な精神や人間性を伝えています。

その龍馬が新しい国家構想を描いていたことや、大政奉還を建言したことは事実です。

日本の近代化を構想した人物が何人いても、実現させるのは至難のワザ。

やはり龍馬のような広い視野を持った人物が、一度くらいの失敗であきらめることなく、絶妙なタイミングで働きかけたことで実を結んだと考えられます。

ネットの声

「確かに司馬遼太郎の小説だと美化されすぎているとは思う。歴史上の事件はただ一人で成し遂げられるようなものではなく、例えば「薩長同盟を坂本龍馬が」となると事実とはいえないとなる。しかし、1浪人の立場であの行動力、影響力はすごいとしか言えない。他の時代にはない十分に魅力的な人物だと思う。また、司馬遼太郎の筆になる龍馬はフィクションでも歴史好きをたくさん作り出した功績も大きいだろう。」

「坂本龍馬人気は、司馬遼太郎作の『龍馬がゆく』のイメージが独り歩きした結果。あの作品は、一部フィクションであることに気付いていない人が多い。
地元高知ではヒーローだったかもしれないが、中学高校の日本史の教科書に、龍馬の名は出ていなかった。と言うより、教科書に載ってた幕末の著名人は、ペリー、吉田松陰、井伊直弼、徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛くらいじゃなかったかな。」

「坂本龍馬の事蹟はよく分かってないことが多いんですよね。
明治になってから書かれた小説が元ネタだったり、政府内で力が弱い土佐閥が坂本龍馬の偉大さを吹聴して勢力を保とうとして有ること無いこと言ったり。
北辰一刀流免許皆伝も嘘だとか言われてますね。
坂本龍馬のアイデアという大政奉還も大久保一翁から言われたことだったり。
坂本龍馬研究も歴史学者によるものより作家による物が多い。」

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