宿に排泄…いろいろ大変だった江戸時代の参勤交代

江戸時代の制度「参勤交代」の宿事情と排泄事情。大人数で長旅となると…

江戸時代の制度の代表的なものが「参勤交代(さんきんこうたい)」ではないでしょうか。

大名を統制するための制度ですが、出費がかさんだり、妻子が江戸に常住させられたりと、各大名にとっては大変なものでした。

ここでは、そんな参勤交代について、宿事情と排泄事情に迫ってみたいと思います。

そもそも、参勤交代とは?簡単に振り返り

参勤交代は、徳川幕府の第3代将軍の徳川家光によって定められた大名統制の制度のひとつです。

大名が領国と江戸とを1年おきに往復する制度で、妻子は江戸に住まわされました(人質のようなイメージです)。

参勤交代は、各大名が幕府に対して謀反などを計画しないよう、主従関係を知らしめることが目的でした。

参勤交代の大名行列の規模は、藩の規模によって異なる

参勤交代というと、長い大名行列をイメージする方も多いかもしれません。

しかし、実際は藩の規模によって異なりました。

1615年の武家諸法度では、20~100万石の大名は20騎以下、10万石以下の大名は分相応、となっています。

さらに、1万石以下の場合は騎馬3、足軽20、人足30という少なさでした。

大人数が止まる宿の状況は?

藩の規模によって人数も変わりますが、例えば加賀藩は約4000人ほどの大名行列だったといいます。

いきなり大所帯がやってきては宿も大変です。

そのため、宿場には「先触(さきぶれ)」という「○月○日に来る」といった通達書を出していました。

宿場には本陣・脇本陣・問屋場があったので、本陣・脇本陣には何人泊まり、家臣たちはどの旅籠屋に何人泊まるかという割り振りを行います。

本陣は、大名などが宿泊するため、彼らが来る前に修繕する必要がないか確認もされていました。

ちなみに、食事も原則として宿が提供していました。

しかし、大名に限っては、毒殺が起きる可能性もあるため専属の料理人も付き添い、彼らが食事を用意しました。

なお、大名行列では大名のための調理器具や食器も持っていく必要がありました。

長旅で、排泄物はどうしていたのか?

参勤交代の衛生事情も驚きです。本陣には風呂がありましたが、大名は専用の風呂桶を使って入浴。

これは、本陣の風呂は五右衛門風呂(ごえもんぶろ)であり、上手く入らないとやけどの危険性があったためです。

また、本陣には大名専用のトイレも持ち込みました。

本陣のトイレは使用せず、この専用の携帯用トイレを道中でも使いました。

さらに、驚くべきことに、大名の排泄物は途中で捨てるのではなく、江戸か国に着くまで持ち運んだと言います。

大名のような高貴な人の排泄物を人々にさらさないため、という理由だったと考えられているそうです。

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