どんな人生だった??島田陽子の妹が遺体引き取り拒否

島田陽子さん 友人明かす孤独な最期…借金で亀裂の妹2人から遺体を引き取り拒否されていた

女優の島田陽子さんが、がんのため都内の病院で亡くなった(享年69)。

彼女と長年親交があったという友人Aさんが悔やみます。

1970年デビュー

「がんの告知は、遺作となってしまった映画『エヴァーガーデン』の撮影中のことでした。本人も悩んでいましたが、髪が抜けたら女優業に差し支えると、治療に踏み切れなかったんです。医師から手術するよう勧められていましたが、人工肛門になることもあってか拒否していました」

突然の訃報に、映画プロデューサーも肩を落としました。

「4月に一緒に福島へ行き“復興の映画を作りましょう”と話していたばかりでした……」

8歳のときに熊本から上京し、中学1年生で「劇団若草」に入団した島田さん。1970年にドラマデビューすると、翌1971年放送のドラマ『続・氷点』(TBS系)で注目され、人気女優へと駆け上がっていきます。

妹2人が引き取りを拒否

1980年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(米NBC)でヒロインを演じ、国際女優と呼ばれるなど幅広い活躍を見せました。

その一方で、数々のスキャンダルを巻き起こした“恋多き女”でもあったのです。

当時を知る芸能記者が振り返ります。

「1988年に故・内田裕也さんとの不倫が発覚。内田さんは妻・樹木希林さんとの離婚届を1981年に役所に提出していましたが、希林さんが離婚無効の訴訟を起こして勝訴。島田さんは内田さんと結婚できなかったと言われています」

1996年に照明ディレクターだった夫と結婚するも1999年に離婚。

また、仕事が激減し2億5千万円で購入した豪邸のローンを払えなくなったり、ヘアヌード写真集を出版するなど、常に話題を振りまいた女優であったのです。

そんな彼女の訃報は、やはり“想定内”では済まなかったのです。

報道後に突然、所属事務所からマスコミ各社に異例の内容のFAXが送られてきました。

《実のところ弊社は知人の報道の方からご一報戴き、亡くなられた事実を知ることとなりました》
《闘病期間や入院の時期、大腸癌の発症時期など親族や近しい友人、葬儀におけるスケジュールなどに関する情報は皆無の状況にあります》

では、島田さんの弔いはどのように行われたのでしょう。

前出の友人Aさんからも、決して安らかとは言えない状況が伝えられました。

「島田さんは両親が亡くなっており、家族は妹2人だけなのですが、その彼女たちが遺体の引き取りを拒否したと聞き、驚きました。そのため遺体は区役所が管理していて、会えないとも……」

葬儀は映画制作会社のスタッフで

親しい友人たちも弔うことのできない混乱の中、なんとか葬儀は行われました。

遺族が姿を見せない中で、その中心となったのは、島田さんが設立した映画製作会社のスタッフでした。

窓口となった男性が葬儀の様子をこう話す。

「密葬は私も含めて十数人で行いました。病院の方にも女優さんだからと配慮してもらって、ドレスを持ってきてご遺体に着させたんです。ただ、妹さんお2人とは連絡が取れず、葬儀に出席もされていないのは事実です。

身元引受人は、生前の島田さんが一筆書いてお願いしていた方となりました。長年、彼女の面倒を見ていた方です。遺骨はいま、島田さんの自宅に祭壇を設けて安置してあります」

芸能界で華々しく活躍しながら、その葬儀には家族の姿さえもなかった島田さん。

なぜこのような孤独な最期となってしまったのか。前出とは別の、彼女と近しい友人Bさんが、真相を明かしてくれました。

「陽子さんは3姉妹の長女。お父さんが亡くなった後は、自分が一家の大黒柱として家族を養うという気持ちが強かったそうです。デビュー以来ずっと順風満帆だった陽子さんですが、うまくいかなくなったのは内田裕也さんとの交際がきっかけで借金を背負うようになってから。そこから自転車操業になって、妹さんたちに無心することもあったそうです」

金銭がもとで亀裂が生じていた姉妹関係が破綻したのは、母の病いがきっかけだそうです。

「お母様は脳梗塞になり、車いす生活を余儀なくされていました。3姉妹持ち回りで世話をしようという約束でしたが、陽子さんは芸能活動もあるため、主に費用の面でバックアップするという話になっていました。しかし、借金の返済に追われ、ままならなくなってしまったそうなんです」

それでも、2年ほど前に亡くなる最期まで母親の介護をしていたのは、島田さんでした。

前出の友人Aさんは後悔まじりに話します。

「この数年間はとても苦しかったと思います。妹と疎遠になり母を失い、『これで本当にひとりきりになってしまった』としみじみ言っていたことを思い出します。実は彼女には、ニューヨークのブロードウエーで『将軍 SHOGUN』に主演したリチャード・チェンバレンと二人芝居をするという企画もあったんです。さぞ無念だったでしょう」

近年も女優として並々ならぬ意欲を見せていた島田陽子さん。

天国でもやり残した夢を追い続けているに違いありません。

ネットの声

「借金、親の介護が絡んで兄弟の関係が崩れることは悲しいが世間によくあること。芸能人、有名人だと言っても変わらない。千葉真一さんの場合もそうだったがいつまでも夢を追い続けるのも芸能人の姿だろう。ただ近しい者を傷つけてしまうことが多い。田村正和さん、田中邦衛さんなどは静かに身を引いていった。最近では加山雄三さん、吉田拓郎さんなどが芸能活動を大幅に縮小している。定年がない仕事だけに自分で見極めるのが難しいのだろう。」

「大原麗子さんもそうだったけど、女優さんでもいつまでも美貌だけを売りにして老いを出せないでいると仕事は無くなりますよね。その人の年齢に見合った仕事を受けている女優さんはずっと仕事ありますもんね。でも、この人は自分の信念でそういう生き方や仕事しかできなかったのでしょうから。それはそれで全うしたのだと思います。」

「大腸がん(直腸がん)についての正しい知識が無かったのが悔やまれる。
大腸がん抗がん剤は多数あり、最も効き目が高いエルプラット(オキサリプラチン)は末梢神経に副作用はあるが、毛は抜けません。また手術ができるということは寛解の可能性も十分にあったはず。医師は説明をしなかったのだろうか。本人が説明を聞くことすら拒否し独り合点してしまったのだろうか。」

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