大正天皇の人となり…決して暗愚で精神疾患ではなかった

「君主としては暗愚で精神疾患」は間違い。大正天皇の人となりに迫る

もともとあった体調面の不安

大正天皇と言えば、「君主としては暗愚で、しかも精神疾患を患っていた」という俗説があります。

あまり政治面での目立った活躍がなかったことや、奇行が見られたなどがその理由です。

しかしそれらは嘘や勘違いが多いことが、最近ははっきりしています。

大正天皇は、1879年8月31日に明治天皇の第三皇子として誕生。明宮嘉仁親王と命名されました。

明治天皇は正室2人・側室5人との間に5男10女の子供をもうけましたが、成人できた男性は大正天皇のみでした(厳密にはこの時はまだ「大正天皇」ではないのですが、分かりやすく大正天皇と表記していきます)。

その多くは生まれた時から慢性脳膜炎を患っていたとされています。

大正天皇にも体調面での不安がありました。

生まれてすぐに髄膜炎と皮膚炎を患い、幼年期には百日咳や腸チフス、胸膜炎に罹患したといいます。

学習院に入学するものの体調が優れない日が続き、小学2年次に80日以上欠席して留年するなどして中途退学することになります。

その後は教育係がつけられ、学業の遅れを取り戻すべく国学や漢文、フランス語などの詰込み学習が行われます。

その結果、体調はさらに悪化してしまうのです。

後に有栖川宮威仁親王が教育係になり、学習よりも健康を優先すると決められたことで、大正天皇のおかれていた状況は改善されました。

激動の時代で…

さて、大正天皇は特に漢詩に興味を持ち、生涯で1367の漢詩と456首の和歌を残すなどしています。

深い教養と風流人としての性格が伺われますね。

1900年には九条道孝の四女である九条節子と結婚します。

結婚後は体調が快方に向かい、全国の地方巡啓を重ねました。

また日韓併合前に反日感情が高まっていた頃、皇太子として初めて韓国を訪れました。

自らハングルの学習を始め、それは即位後も続いていたといいます。

そして1912年に第123代天皇として即位。大正と改元します。

ところが、即位後しばらくすると、再び体調が悪化しました。

1914年の第一次世界大戦への参戦に、翌年の即位の礼などが続き、激務と心労から過大なストレスがあったと考えられます。

また、元老の山縣有朋らとの折り合いも悪かったとも言われています。

どのような病気を患っていたかは不明ですが、アルツハイマー病やパーキンソン病の一種と考えられているようです。

47歳での崩御

1918年に日本が第一次世界大戦の戦勝国となると、天皇に外交的、内政的な判断が求められる場面が多くなります。

しかし大正天皇は病気の影響で、勅語の音読も難しいような状況でした。

そのため大正天皇の長男である裕仁親王(昭和天皇)が摂政に任命されます。

1925年には寝たきり状態になり、1926年12月25日に心臓発作により47歳で崩御されます。

ここまでの内容からも、大正天皇は暗愚であったとか、精神疾患を患っていたとかいう俗説は誤っていることが分かります。

ただ、幼少期から体調不良に悩まされていたのは間違いなく、早逝したこともあり目立った活躍がなかったことから、このような俗説が生まれたのでしょう。

ただ、誤解のもとになる行動がなかったわけでもありません。

大正天皇はユーモアのある人柄だったようで、列車での移動時には一般車両に乗って客に気さくに話しかけたり、時には宿を抜け出して蕎麦屋に行ったりしたこともあるそうです。

また女性にも盛んに話しかけていたとか、書類を望遠鏡のようにして遊んでいたとか、そんなエピソードもあり、それが周囲からは一国の君主の行動としては「奇行」として見えたのかも知れません。

そしてそうしたイメージが独り歩きしたのかも。

ちなみに大正天皇は、子煩悩で家族を大切にしていました。

それまでの天皇は何人もの側室を置いているのが当たり前でしたが、大正天皇は側室を置きませんでした。

天皇の一夫一妻制は昭和天皇から導入されたと言われていますが、実際は大正天皇のころから始まっており、現代風の考え方を持っていた人だと分かります。

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