妻?嫁?奥さん?女性配偶者をどんな風に呼んでる?

女性配偶者の呼び方としてふさわしいのは?

男性が自分の配偶者について語る際、はたしてどう呼ぶのが適切なのか? 

世代によっても呼び方にバラツキがあるようです。

20代は「奥さん」、40代は「嫁」、50代は「女房」と、世代で差

皆さんは、女性のパートナーのことをどう呼びますか? あるいは、男性のパートナーの方からどう呼ばれていますか?

調べてみると、20代の方は「うちの奥さん」、30代は「うちの妻」、40代は「うちの嫁」、50代の方以上は「うちの女房」「うちのかみさん」と、世代によってバラツキがあることがわかってきました。

理由は、「……周りの人がそう呼ぶから、自分もなんとなく」というものですが。

それではこれらのうち、男性が女性を呼ぶときの最も適当なものは、どれでしょうか?

答えは、「妻」です。理由を追って説明していきます。

婚姻届など正式書面にも「妻」が使われるように

「妻」という言葉は、712年に書かれた日本最古の歴史書『古事記』にすでに使われています。

出雲神話に登場する須佐之男の記述で、

「僕の名は、足名椎と言う。妻の名は、手名椎と言う」と、自分のパートナーの呼び方を「妻」と記しているのです。

この「つま」という言い方は、現在でも同じですが、じつは、婚姻制度の観点から、神話の時代、あるいは奈良、平安の時代、現代とではまったく意味が違います。

平安時代は、男性が女性の家に出向いて夜の時間をともに過ごす、いわゆる「通い婚」と言われる婚姻制度だったのです。

そしてふたりの間に子どもができると、男性はパートナーの女性とともに独立して家を建て、ともに生活をするようになったのです。

ところで、「妻」という漢字は、「簪をつけた、家事を行う成人女性」を形として描いたものですが、漢字の音では「サイ」と呼びます。

日本語の「つま」という呼び方は、「連れ添う身」という言葉が「連れ身」となり「つま」となったと言われています。

この「つま」という言葉を、漢字の「妻」に当てたのです。つまり、男女を問わずパートナーのことを「つま」と呼んでいたわけで、漢字の「簪をつけた、家事を行う成人女性」という意味は、日本語の「つま」にはないのです。

明治時代になって、現代と同じような婚姻制度ができあがると、婚姻届などの正式な書面にも「妻」という言葉が使われるようになりました。

「女房」はもともと「妻」の立場を下げた謙譲語

それでは「女房」という言葉は、どのようにして使われるようになったのでしょうか?

もともと「女房」は、自分の「妻」を表した言葉ではなく、身分の高い貴族に仕えて、身の回りの世話をした妻以外の女性を指していたことがわかります。

紫式部や清少納言も天皇の妃の女房として働いていました。

「女房」が「妻」という意味で使われるようになったのは、江戸時代からです。

もともと武士たちが、自分よりも立場が上の人に、自分の「妻」を紹介する際に、「私の身の回りの世話をしてくれる人」という意味で、「妻」の立場を下げた謙譲語として使われたのが、町人などにも広がったものと考えられます。

「家内」の意味は、家で家事をしてくれる人

それでは、「家内」はどうでしょうか?

「家内」の初出は1083年~1099年頃に書かれた『後二条師通記』という日記です。

これには「国家并家内大事也」と記され、「国家と併せて、家の中のこともとても大事だ」という意味で書かれています。

この「家の中」という言葉が、次第に「家の中にいる女性」を表すようになっていくわけですが、広く「妻」のことを「家内」と呼ぶようになったのは、明治時代になってからのことでした。

男性が外で働き、女性は専業主婦として家の中で家事を行うという家庭のスタイルが生まれた時代です。

これもまた、自分の上司など立場が上の人に「妻」を紹介する際に、「ふだんは家で家事をしてくれている人」という意味で「家内」という言葉を使うようになったのです。

「嫁」の本来の意味は、息子のところに嫁いできた女性

さて、自分の「妻」のことを「うちの嫁」と呼ぶ人がいます。

お笑いの芸人さんたちに多いような気がするのですが、これは業界用語なのでしょうか。

「嫁」という言葉は、鎌倉時代、1275年頃に書かれた『名語記』という語源辞典には次のように書かれています。

「子息が妻をよめと名づくは如何 答、よめは婦也」(息子が「妻」を「よめ」とよぶのはどうか? 答え:嫁という言葉は、子息の妻のことを言うものだ)

これによれば「嫁」とは、本来「息子のところに嫁いできた女性」を指す言葉だったにもかかわらず、息子が自分で自分の「妻」のことを「嫁」と表現する呼び方があったことがわかります。

この言い方は、おそらく、落語家や歌舞妓など伝統芸能を教えている家に住み込んでいる人たちの家で使われたのが、現代でも芸人さんたちの家に引き継がれたものであろうと考えられます。

「奥さん」は他人の妻を尊敬の意味を込めて呼ぶ言い方

それでは、自分の「妻」を「奥さん」と言う呼び方について記しておきましょう。

「奥さん」のもととなったと考えられる「奥方」という言い方が文献の上に現れるのは、1562年のことです。

北条幻庵が書いた『北条幻庵覚書』に「近年、座頭と申せば、いずれもおくがたへ参候」と記されます。

「最近、我等が首長は、皆様、奥の間の方へとお出でになります」という意味ですが、「奥の間」とは、すなわち、家の奥の方にいる「妻のところ」を表しています。

武家屋敷では、「妻」は屋敷の奥に住んでいました。

そして、その首長の家来たちは、首長の妻のことを「屋敷の奥にいる偉い女性」という意味で「奥方」という言葉を使ったのです。

江戸時代になると、この言い方が庶民の間でも使われるようになり、他人の妻を呼ぶときに、尊敬の意味を込めて「奥方」と呼ぶようになり、これが「奥様」「奥さん」に変化していったのです。

妻に頭が上がらなくなった夫が呼ぶから「かみさん(上さん)」

最後に、「かみさん」について説明します。

「かみさん」が出てくるのは、江戸時代後期、1771年の浄瑠璃『妹背山婦女庭訓』です。

「コレかみさん。見ればここにも寺屋のやうに、七夕様が祭ってあるな」と記されています。

これは、嫁から見た姑のことを「かみさん」と呼んでいるものです。

「かみさん」の語源は「上様」で、「目上の人」を表すものでした。

ではなぜ、「妻」のことをパートナーの男性が「かみさん」と呼ぶようになったのでしょうか。

これは「妻に、頭が上がらなくなった夫」が生まれてきたことと無関係ではないのですが、女性が家庭内の中心になり、男性がパートナーの女性から「お小遣い」をもらうようになった昭和30年代、すなわち1960年代頃から流行ってきたと考えられています。

ネットの声

「語源はこうだったけど、今はそれを知らずに使っている言葉って沢山あるのだから、私は嫁でも女房でもなんでもいい。ただ、かしこまった場面で正しい言葉を選べないのは恥ずかしいので知っておくのは大切。」

「配偶者を嫁と呼ぶのは、別に芸人の影響ではなくて、少なくとも関西では大昔から使われていますよ。最近、ポリコレの影響で嫁という呼称が不人気ですが、「僕のお嫁においで」、「嫁に来ないか」、「お嫁サンバ」とか昭和の歌謡曲にもあるので、日本中、普通に配偶者を嫁と呼んでいたんじゃないですかね。」

「夫が私のことを家内と紹介します。私も働いてて夫と同じくらいの給料もらってるんだけど・・・とちょっと複雑です。私は妻と呼んでほしいです。」

「私の知り合いの25歳の大阪在住の男性も、奥さんのこと嫁って言いますね。関東在住の私からしたらびっくりでしたが、地域によって変わってくるんですね。」

「嫁でいいじゃない。
何がいけないのか、さっぱりわかりませんが。

他の人も書いていますが、歌謡曲で、

「お嫁においで」(加山雄三)
「嫁に来ないか」(新沼謙治)
「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)
「お嫁にもらおう」(石橋正次)

なんてありましたが、問題にもならなかった。

他にも、歌詞でいうと、

オヨネーズの「麦畑」では「嫁コさ来ておくれ」、
梓みちよの「お嫁さん」では「あなたが好きだから、お嫁に来たのよ」

あと、「愛ちゃんは太郎の嫁になる」なんてあったしね。」



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