ビートルズ「解散の原因」は巨額な税金だった説
税金対策アップル社設立からたった2年で解散
目次
「ロック」を巨大な市場に変えた
20世紀最大のミュージシャンであり、音楽をビッグビジネスに変えたビートルズ。
ビートルズは、人気絶頂でありながらわずか8年で解散してしまったわけですが、このビートルズの歴史にも税金が深くかかわっているのです。
さらにいえば、ビートルズの解散は、税金が大きな理由の1つでもあるのです。
ビートルズは、ロックを巨大な市場にしたアーティストです。
ビートルズがアメリカに上陸した1964年からビートルズが解散する直前の1969年にかけて、アメリカのレコード市場は約3倍に膨れ上がっています。
これはアメリカだけではなく、世界的にもいえることで、ビートルズの出現が、音楽市場を大きく拡大したといえるのです。
しかし、市場が拡大し、大きな金が動くようになると、ミュージシャンが初めて経験するような「金銭的な問題」が多発したのです。
しかも彼らは、自分たちで曲もつくっていたので、作詞作曲印税も生じていました。
そのお金は、彼らの想像がつかない天文学的な数字になっていました。
その巨額のお金に、翻弄されるようになるのです。
ビートルズはデビューするときに、契約内容をあまり深く検討していませんでした。
当時は、「ロックで食べていける」ということなどは夢物語のように思われていたので、その後の収入の配分のことなどはあまり考えていなかったのです。
だから、ビートルズの収入は、その売り上げに比べればかなり低いものでした。
彼らも後からそれに気づき、関係者と交渉して改善を試みましたがなかなからちが明きませんでした。
彼らのこのときの苦労は、後のミュージシャンたちの教訓になりました。
彼らが直面した最大の問題は「税金」でした。契約内容が悪かったといっても、あれだけ売れたのですからビートルズには莫大な収入が入ってきました。
もちろん、その収入に対して、巨額の税金が課せられました。
当時のイギリスの税制では、労働党政権のもと、個人の所得には高い税率が課せられていました。
ビートルズのような高額所得者には80%以上の所得税が課せられ、さらに付加税もあったので、90%以上が課税されていたのです(この高税率は1979年のサッチャー政権による税制改革まで続きます)。
当時は、東西冷戦真っ最中のときであり、共産主義革命を恐れて、西側諸国では富裕層に高額な税金をかけていたのです。
そのとばっちりをもろに食ったのがビートルズだったというわけです。
ビートルズのアルバム「リボルバー」には、「タックスマン」という曲が収められています。
これは、当時のイギリスの税金の高さを皮肉ったものです。
もちろんビートルズは、考えつく限りの方法で節税を行いました。
ビートルズの後期の活動は、「節税」が軸になっているのです。そして、節税の失敗が解散の大きな要因ともなっているのです。
私がビートルズを聴き始めてすぐに彼らは解散してしまったけれど、ビートルズからディランへ、ストーンズへ、クラプトンへ、そこからまた枝分かれして、フォークへ、R&Bへ、ブルースへと、聴く音楽の幅が広がっていきました。
多感な少年時代にビートルズと出会えたことは、生涯の幸福です。 pic.twitter.com/aZDrUlr9GA— 傷心楽団 (@ShoshinGakudan) January 22, 2022
映画「HELP!」がバハマ諸島で撮影された理由
ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインは、かなり早い時期からビートルズの節税に関しても非常に気を配っていました。
ジョンとポールが受け取る楽曲の著作権印税も、ジョンとポールが直接もらうのではなく、レンマックという会社を通じてもらう、という仕組みにしていました。
ジョンとポールが、著作権印税を直接もらうと高額の所得税がかかります。
そのため、著作権印税はいったん、レンマックという会社に入り、レンマックから配当という形でジョンとポールに支払われるようになっていたのです。
普通の収入よりも、配当金収入のほうが税率が低かったからです。
レンマックというのは、ジョン、ポール、ブライアンの3人でつくられた会社で、株はジョンとポールが40%ずつ、ブライアンが20%持っていました。
またこのほかにも、ジョンはハンプシャー州のスーパーマーケットを買ったり、リンゴは建設会社に投資したりしていました。
1965年ごろからブライアンはビートルズの収入を課税率の低い外国の口座へ分けて振り込むようにしていました。
また映画「HELP! 4人はアイドル」は、バハマ諸島でロケが行われましたが、これは節税策も兼ねていたのです。
ビートルズは、主演映画も製作し、大成功を収めています。
この映画の撮影場所となったバハマ諸島は、“タックスヘイブン”と呼ばれ、税金の低い地域です。
ビートルズは、バハマで映画の仕事をしたことにして、収入もここで貰い受けるようにしたのです。
そのため映画「HELP!」の収益は、バハマの会社キャバケイド・プロダクションズに支払われました。
キャバケイド・プロダクションズは、ビートルズと「HELP!」のプロデューサーが共同出資した会社です。
そして映画の出演料をバハマのナッソーの銀行に預金することにしていました。
そうすれば、イギリスの税務当局から文句を言われなくても済むのです。
それでも、ビートルズの税金対策ははかばかしくありませんでした。
ビートルズのメインの収入は、イギリス本国で生じるため、イギリスで巨額の税金を徴収されるのです。
当時のビートルズの課税額の見積もりは約300万ポンドだったといわれています。
今の日本円にして約40億円です。
半世紀前の40億円というと相当の価値があったはずです。
そこで、ビートルズは会社をつくることにしました。
あの「アップル社」です。
このアップル社は、ビートルズが無謀なビジネスに乗り出して大失敗した会社として、世間に認識されています。
ビートルズはこのアップル社で、音楽、映像、美術などのさまざまなアーティストを発掘し、世界の芸術の先端を行くつもりでした。
しかし、アップル社はあっという間に赤字が累積し、破綻に追い込まれました。
それがビートルズの解散の大きな要因ともされています。
ビートルズ・ファンにとっては、いまいましい会社でもあります。
ビートルズとしては、自分たちの莫大な収入の大半を税金に取られるのはばかばかしい、そこで会社をつくろうとしたわけです。
しかしただ会社をつくるだけでは能がないので、エッジの効いた先進的なエンターテインメント企業をつくろうとしたのです。
なぜ会社をつくれば節税になるのか、というと、ざっくりいえば次のようなことです。
ビートルズの収入は、アップル社が受け皿になります。
アップル社は、ビートルズの収入などを元手にさまざまな事業を行います。
そして、利益が出た場合には、配当がメンバーに支払われるのです。
個人の収入としてお金を受け取るよりも、会社から配当を受け取ったほうが、税金は安くなるのです。
またメンバー個人が直接ビートルズの収入を受け取れば、その収入にはそのまま税金が課せられてしまいます。
だから、メンバーが何か事業を行おうとすれば、税金を払った後の残額を資金にするしかありません。
しかし、アップル社をつくれば、ビートルズの収入を課税される前に、ほかの事業に投資することができます。
ビートルズから見れば、「自分たちのお金を自由に使える範囲」が広がるのです。
『ザ・ビートルズ:Get Back』
Part 1(トゥイッケナム映画撮影所でのリハ)元々はテレビ特番の為に撮影された4人のリハ映像がビートルズ解散直前の彼らの人間模様を赤裸々に写し出す!もはや歴史的資料ですね。処理が施されているのか映像が驚くほど美しい。この頃の彼らのやさぐれたルックス好き… pic.twitter.com/bqg1CAsCBx
— 続・池袋らぶせくしー (@RUsrjkCwbF354K8) January 13, 2022
数字がわかる人間がだれもいなかった
しかしこのアップル社には、企業として大事な部分が欠如していました。
“数字がわかる人間”がだれもいなかったのです。
アップル社には、企業経営や経理の専門家はほとんどいませんでした。
そんな中で、“資金だけは巨額な会社”をつくったわけです。当然のごとく、放漫な経営になってしまいました。
アップル社に集まった人たちのほとんどは、ビートルズの金を当てにしていたのです。
会社名義で購入された高級車2台が行方不明になったりなど、会社としての形はないも同然でした。
アップル社は、1年もたたないうちに経営難に陥ってしまいました。
「税金対策のために経費を使おう」ということで始めたアップル社でしたが、ビートルズの想像をはるかに超えて経費が膨らんでしまったのです。
ついこの間、300万ポンドもの税金を払わなければならなかったビートルズが、破産寸前にまで追い込まれたのです。
アップル社が、いかに急速に金を使ったか、ということです。
また当初、主にアップル社の経営をしていたのはポールでしたが、経営危機になってからはジョンが中心になりました。
そこでジョンとポールに意見の対立が生じ、ビートルズに亀裂が生じるようになってしまったのです。
そして、ビートルズはアップル社設立からたった2年で解散してしまいます。
ビートルズ解散の理由は1つではなくさまざまな要因が絡み合ったものと思われますが、このアップル社のビジネス上の大失敗が大きな要素となっていることは間違いないでしょう。
ビートルズのメンバーは、ビートルズ解散時の1970年には資産の多くを失っていたとみられています。
ジョンは、当時ニューヨークで暮らしていましたが、知人からお金を借りて生活していたそうです。
このビートルズの節税対策の失敗は、ほかのミュージシャンにも大きな影響を与えました。
1960年代以降、イギリスのミュージシャンが世界的に成功を収めると、イギリス国外に移住するケースが多くなりました。
たとえばローリング・ストーンズは1970年代の一時期、フランスに移住していました。それもイギリスの高い税金を嫌ってのことなのです。
よくも悪くも、ビートルズは後世のミュージシャンの手本になったのです。
1月9日「ROCK 今日は何の日?」1975年、ビートルズの法的解散が認められた。70年にポールはジョン、リンゴ、ジョージの3人を相手にビートルズを解消するなどの訴えをロンドン高裁に起こした。翌年、解散の要求が認められ他の3人は上告を断念。本日ポールの勝訴の判決が下ったってわけ… pic.twitter.com/cUKdY2QEbT
— ROCK,MUSIC&BAR Freak (@ROCK_BAR_Freak) January 8, 2022
ネットの声
「ビートルズのレコード盤の中央部分には”青リンゴ”がプリントされていましたね。節税対策でアップル社立ち上げるも失敗し解散に至りました。(それが全ての原因ではないと思いますが…。)イギリスのアップルは失敗し、アメリカのアップルは大成功。因果なものですね…。」
「オノヨーコを冠するプラスティック・オノ・バンドのコールド・ターキー。レノンは本曲をビートルズの楽曲として発売しようと考えたがメンバー全員から”冗談じゃない”と反対された。」
「ビートルズのメンバーは、ビートルズ解散時の1970年には資産の多くを失っていたとみられています。ジョンは、当時ニューヨークで暮らしていましたが、知人からお金を借りて生活していたそうです/山ほど金を持っていたと思っていたのに!!」