伊集院光、なぜ落語家やめた? 修行時代に大師匠が激怒も円楽さんが許した理由
三遊亭円楽さんの死去を受け、弟子の伊集院光との関係に改めて注目が集まっています。
伊集院はもともと楽太郎時代の円楽さんに弟子入りし、三遊亭楽大を名乗っていました。
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伊集院のタレント活動を許可
伊集院は落語家修業を続けつつ、ラジオパーソナリティーとしてタレント活動も開始。
当初は師匠に内緒で行っていたのです。
普通ならば破門にされても仕方がないのですが、円楽さんは伊集院の活動を許したそう。
伊集院をラジオ番組のオーディションに誘ったのが、同じく円楽さんを師匠に持つ、伊集院の元兄弟子だった放送作家だったことも影響していたのかもしれません。
円楽師匠の落語の良し悪しは、素人に毛が生えたにわか落語好きなオイラには語るところは無いのですが、伊集院光との師弟関係や講談のニュースター神田伯山への惜しみない賞賛、そしてその二人の微妙な関係をイジる姿がとにかく好きで。
…寂しいよ。#笑点 #三遊亭円楽 #伊集院光 #神田伯山— シン・harukickMM?? (@harukickMM) October 9, 2022
最後まで伊集院を庇う
しかし、伊集院のこうした動きを、大師匠にあたる五代目円楽さん(2009年に死去)は良く思わなかったようです。
五代目円楽さんは『笑点』(日本テレビ系)の楽屋で当時楽太郎を名乗っていた円楽さんに激怒し、「バキ打ち」したというのです。
しかし、円楽さんは「あいつはバカだから全部やらせる方針です」「これは僕の弟子です」と最後まで伊集院を庇ったそう。
もともと円楽さんも、五代目円楽さんに弟子入りする際に周囲の抵抗などがあり、カバン持ちをしながら落語家修業を始めました。
そのため、落語一本に絞らない伊集院の活動にも理解があったのでしょう。
円楽師匠が亡くなったときに「伊集院光ファンからすると「師匠の師匠」が亡くなったみたいなもんだからなあ」って言ってる人いたけど、まさにそんな感じなので
— コイル男P (@gabei) October 9, 2022
落語家は休業扱いに
しかし伊集院は、やがて落語家を自主廃業してしまいます。
その理由は、立川談志さん(2011年に死去)が若い頃にやっていた古典落語のテープを聴いた伊集院が「この人には叶わない」とノイローゼになったためと言われています。
そして活動は伊集院光一本に絞られたのですが、円楽さんとの師弟関係は、円楽さんが伊集院を「休業扱い」にすることで継続したのです。
何より、最近の伊集院は円楽さんと落語二人会を開くなど落語への意欲を見せていました。
その最中の訃報は、やはりショックが大きかったのではないでしょうか。
円楽がいなくなった笑点、伊集院光こと「三遊亭楽大」が司会になったら今までと違う層が視聴者になりそう。
— むちゃ?????????? (@mucha_chaccha) October 9, 2022