F-16とは似て非なるもの 空自F-2が初飛行-1995.10.7 対艦ミサイル4発積める唯一の国産戦闘機
1995(平成7)年の10月7日。日米共同開発の戦闘機F-2が初飛行しました。
F-2は、アメリカ製のF-16「ファイティングファルコン」戦闘機をベースに、日本独自の運用構想や地理的特性を盛り込んで誕生した単発エンジン機です。
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F-16とは90%以上が別
ぱっと見、F-16によく似た外観であるものの、主翼形状や機体の長さなど様々な部分で再設計されているため、F-16から9割以上が変更されているといわれています。
そのため、F-16が原型とはいいつつも事実上の新型機といえるもので、試作機も4機作られ、一から様々な試験が行われました。
開発は1988(昭和63)年11月に、日米両政府のあいだで開発覚書を締結したのを皮切りに、1990(平成2)年3月には支援戦闘機(FS-X)設計チームが発足。
防衛庁技術研究本部(現防衛装備庁)が三菱重工を主契約社に、ロッキード・マーチンや川崎重工、富士重工業(現SUBARU)を協力会社として設計を開始し、1992(平成4)年6月には実物大模型の完成にこぎつけています。
そして、冒頭の初飛行に成功した後は、1996(平成8)年7月に日米両政府のあいだで生産覚書が締結され、2000(平成12)年9月には量産初号機が防衛庁(現防衛省)/航空自衛隊に引き渡され、2011(平成23)年9月27日に量産最終号機が納入されています。
#F2#碧#萌え萌え大戦争げんだいばーん++
10月7日は、日本の航空自衛隊が運用しているF-1の後継としてアメリカのF-16をベースに各種改良を加えて開発された戦闘機「F-2」(関係者やファンから「平成の零戦」「バイパーゼロ」と呼ばれている)の初飛行日。碧、おめでとうございます。??????(≧∇≦)?? pic.twitter.com/6NZ3eHFRjb
— 旧ザク (@Gu0tj96) October 7, 2022
2040年頃までは飛び続ける予定
F-2の生産数は試作機4機を含め全部で98機。
そのうち91機が2022年9月現在、運用されています。
配備先は松島基地(宮城県)、百里基地(茨城県)、浜松基地(静岡県)、岐阜基地(岐阜県)築城基地(福岡県)の5か所。
そのうち対領空侵犯措置などの実働任務に就いているのは百里基地と築城基地の計3個飛行隊になります。
F-2は、対空ミサイルによる空対空戦闘、対艦ミサイルによる洋上阻止、そして爆弾などを用いた対地攻撃と、様々な任務に対応できるマルチロール戦闘機です。
特に長射程の大型対艦ミサイル4発を搭載できるのは、航空自衛隊の戦闘機ではF-2以外になく、そのため機体のカラーリングもF-15JやF-35Aなどがグレーを使った制空迷彩なのに対し、F-2だけは青主体の洋上迷彩になっています。
現在、防衛省ではF-2戦闘機の後継となる新型戦闘機の開発を進めています。
その計画では2035年からF-2の退役が始まると見込まれており、おそらく2040年頃までは運用が続けられるようであり、あと15年以上、F-2は日本の空を飛び続けるようです。
ネットの声
「一言で言えば「ツキの無い戦闘機」だ。
開発時には日米貿易摩擦の影響で純国産がかなわず、開発が始まればアメリカの様々な技術移転が拒否されて、開発時期が延び開発費も膨れ上がった。
生産当初はブルーインパルスの使用機の予定もあったくらいなのに、欠陥機の噂を流されて更にAMD構想に予算を取られ生産数の大幅削減。
複座機を高等練習機として使用する事でなんとか生産数を稼いだら、
東日本大震災の津波で松島基地のB型が被害を受け、用途廃止機を出す始末。
しかし、
中国が南、東シナ海で海洋進出を謀り台湾有事が現実視される昨今には、対艦ミサイルを四発積めるF-2は重要な抑止力だ。
いずれ来る退役時には、名機として退役することは間違いないはずだ。」「「F-2」の開発が決まった時、「是非とも次期支援戦闘機は純国産に!」という声が多かっただけに、結局は米国という巨大国家の外圧に屈し「F-16」ベースの戦闘機開発となった経緯に、臍を噛んだ国民も少なからずいたと思う。
しかし、当時の日本の技術力では機体を構成する(主に主翼)炭素繊維技術は米国を圧倒していたものの、一番の肝となるエンジン開発技術には、やはり米に一日の長どころか何年もの長があったのは事実だから、純国産機では.今の「F-2」程の性能と同等或いはそれ以上の機体が誕生することは無かったかもしれない。
我が国の持つ貴重な炭素繊維技術等が米国に盗られたとも言えなくも無い「F-2」だが、結果オーライだったかもしれない。
個人的には、同じ戦闘機でも「F-15」とは全く違う優美さと近未来的なシルエットを持った機体だと思うから好きなんだけどなぁ…。」「開発開始当時の日米摩擦による米国の横槍や、エンジンのノウハウ不足から共同開発にせざるを得なかったが、当時の日本側のメーカーや防衛関係者の情熱は並大抵ではなかったと思う。たとえば、現在なら当たり前のステルス性能についても、世界に先駆けて電波吸収素材を多用するなどした結果、RCSは1㎡以下と言われ、欧州の主力戦闘機タイフーンの0.9㎡と遜色なく、F/A-18Eスーパーホーネットの1.2㎡よりも小さいくらいと言われている。こうしたノウハウの蓄積をF-3で存分に開花させてほしい。」