インディ・ジョーンズの「失われたアーク(聖櫃)」はエチオピアにあった?

インディ・ジョーンズのあの「失われたアーク(聖櫃)」は、エチオピアにあった?

謎とロマンにあふれている古代文明。

あの建造物や不思議な絵などは、いつ、誰の手で、何のためにつくられたのか……? 

世界中に残る謎に満ちた遺跡や神秘的なスポットについて解説。今回は「失われたアーク(聖櫃〈せいひつ〉)」の謎をお送りします。

シオンの聖マリア教会

アークの争奪戦を描いた人気映画『レイダース』

箱を開けた一味は呪いをかけられ、皮膚と肉をはぎ取られる恐怖に怯えながら、なすすべを知らず。ついには骨と化し、その骨さえも粉々に。

ハリソン・フォード主演、スティーブン・スピルバーグ監督のアメリカ映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』です。

この作品は1981年の公開ながら、いまだ色褪せることがありません。

どんな危険も辞さない考古学者インディ・ジョーンズとナチ党による争奪戦もさることながら、絶大なるパワーを秘めたアークそのものへも関心が高いからでしょう。

モーセの十戒とアークの恐ろしい力

アークとは、契約の書を収めた箱。

ここで言う「契約の書」とは、唯一絶対の神が古代イスラエル人の指導者モーセとの間に交わした十ヵ条の契約内容(十戒)とそれを刻んだ石板のことで、アークはこの聖なる石板を収める専用の箱です。

ちなみに、十戒の内容は以下の通り。

1、私をおいて他に神々があってはならない(神の唯一性)

2、自分のための彫像を造ってはならない(偶像の禁止)

3、主の名をみだりに唱えてはならない(神の名の聖性)

4、安息日にどのような仕事もしてはならない

5、父と母を敬いなさい(父母の尊重)

6、殺してはならない

7、姦淫してはならない

8、盗んではならない

9、隣人について偽りの証言をしてはならない(偽証の禁止)

10、隣人のものを一切欲してはならない(貪りの禁止)

石板はもちろん、アーク自体も異教徒が触れてよいものではありません。

『旧約聖書』のなかにも、異教徒のペリシテ人が戦利品としてアークを持ち去り、自分たちの神殿に置いたところ、彼らが崇めるダゴンの神の像が倒れ、起こして元の場所に立たせても、翌日にはまた倒れ、しかも手足を切断された状態で見つかったのです。

続いてペリシテ人の間に腫物(はれもの)のできる病が広がり、恐怖が蔓延(まんえん)したことから、ペリシテ人の指導者たちは話し合いのすえ、無条件でアークをイスラエル人に返却をすることを決めます。

エルサレムの旧市街

ソロモン王の息子に託したアーク

エルサレムに神殿が建てられて以降、アークは神殿の至聖所(しせいじょ)に安置されたはずなのですが、『旧約聖書』はその後のアークについて黙して語られません。

エルサレム神殿は二度の破壊を経験しているから、その際には奪われたか、破壊された可能性が大きいが、東アフリカのエチオピアでは、そのどちらでもない第三の説が信じられているのです。

エチオピアの伝承によれば、賢者との評判が高かった古代イスラエルのソロモン王に、知恵比べを挑んだシヴァの女王の国が、エチオピアにあったと伝わっています。

『旧約聖書』には知恵比べで女王が負けたところまでしか記されていないのですが、そのエチオピアの伝承によれば、彼女はソロモン王と交わり、一人の男児を生んだというのです。

この男児が成長してエチオピアの王として戻る際、ソロモン王は彼にアークを託しました。

以来、アークはエチオピアに保管され、今日に至るというのですが、その場所はエチオピア北部の町アクスムにある「シオンの聖マリア教会」だというのです。

エチオピアの最も神聖な場所、シオンの聖マリア教会

古代文明が栄えていたエチオピア

教会の特別な場所に、秘宝として厳重に保管されているため、一般公開はもちろん持ち出しも禁止。

閲覧も最高位の聖職者にしか許されないなど、それが本当に「失われたアーク」なのかどうかは確認のしようもありません。

アクスムはエチオピアのなかでも古都という扱いで、紀元6~7世紀頃に建立されたと思われるオベリスクやシヴァの女王の宮殿跡、沐浴場跡などと称される遺跡も点在しており、規模こそ小粒ながら、独自の古代文明が栄えていたことがうかがえます。

総人口の4割くらいがキリスト教徒で、ユダヤ人の後裔(こうえい)を称する人びともいましたが、20世紀末に大半がイスラエルへ移住したことから、現在では数家族が残るのみ。

「シオンの聖マリア教会」はエジプトのコプト教の流れを汲むエチオピア正教で、カトリックともプロテスタントとも異なる、独自の教えや信仰儀礼を今日に伝えています。

古都アクスムのオベリスク

おすすめの記事