40歳以降は「おまけ」の人生?!どういうこと??

40歳以降は「おまけ」の人生?! 生物学者が語る「在るべき生き方」

本来、人間の寿命は38歳です。

現在は医療の発達や栄養状態が良くなったために寿命が延びるようになったのですが、生物学的に考えると40歳からは「おまけ」の人生といえます。

折角手にした「おまけ」なのだから、自由気ままに楽しく生きるようにした方が良いのです――。

『40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する』から紹介します。

死は避けられない、だから人生を大切にしたい

私たち人間はある日突然、ふってわいたように地球上に現れたわけではありません。

今から38億年前、地球上に初めての生命が生まれました。

それ以降、気の遠くなるほどの長い年月を経て進化をくりかえしながら、さまざまな生物が生まれては滅んで、約700万年前になってようやく、進化の現行ランナーの一員としてわれわれ人類が出現したのです。

私たち人間は38億年にもおよぶ進化の長大なる歴史の結実ともいえます。38億年ものあいだ、おびただしい数の生物たちが連綿として命を紡ぎ続けてきた結果、私たち人間の「今」があるわけです。

そのことに思いをはせるとき、人間である自分のことや、そこまで命をつないできてくれた他の生物たちのことが、愛おしく感じられるかもしれません。

進化の最終形態としての多細胞生物は私たち人間も含めて、かならずいつかは死んでいきます。

人間は死ぬように運命づけられているわけです。

そうであるならば、限りある人生を私たちはどのように生きていけばよいのでしょう。

人間の自然寿命は38歳

とりわけ40代以降という人生の後半において、より善い生き方とはどのようなものなのでしょう。

その問いに対するヒントは、生物学の中に見いだすことができます。

自然のままの生物としての寿命を「自然寿命」といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。

40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。

ちなみに、観察されている限り、ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します。

人間だけが自然寿命の倍以上も生きられるのです。

生物学的には自然寿命を超えた40歳以降はいわば、「おまけ」のようなものだとわかります。

「おまけ」があることに感謝するのなら、みずからの規範に基づいて自分自身の人生を生きることが、いいかえれば、社会の束縛や拘束から少しでも自由になって、自分の欲望を解放しながら楽しく、面白く生きることが、40代以降の人間に求められる生き方だと思うのです。

そのことを納得していただくためには、そもそも生命とは何なのか、物体とどこが違うのか、老いとは、死とはどういう現象なのかといった生命についての「基本」を知る必要があるでしょう。

しかし、まずは、40代以降の生き方にダイレクトに関係する自然寿命について解説したいと思います。

自然環境におかれた場合の生物の寿命を「自然寿命」といい、脊椎動物の自然寿命の推定に利用されるのが、「DNAのメチル化」といわれる現象です。

そして、このDNAのメチル化から割り出された人間の自然寿命が38歳でした。

チンパンジーやゴリラの自然寿命もほぼ38歳で、私たちの「親戚筋」ともいえるネアンデルタール人やデニソワ人の化石のDNAを調べると、ともに38歳でした。

霊長類の自然寿命はどうやら38歳あたりのようで、同じ霊長類の仲間である人間の自然寿命が38歳というのは、妥当な線といえるでしょう。

幸運にも手にした「おまけ」の人生

メチル化の度合いから推定された自然寿命と実際の寿命が大きく隔たっている唯一の例外が人間です。

ぼくなんかすでに自然寿命の2倍も生きていることになります。

人間だけが自然寿命を大きく超えてなお生きられるのも、医療のめざましい進歩と栄養価の高い食事のおかげでしょう。

しかし、最大の要因は事故や感染症などの危険に満ちた野生の世界に早々と見切りをつけたことかもしれません。

人間がもし今も野生状態で生きていたとしたら、おそらく大半が自然寿命の38歳前後で死んでいたことでしょう。

いずれにしても、生物学的には40歳以降の人はすでに死んでいていいはずなのに、医療の発達や食生活の改良、野生生活との決別のおかげで、自然寿命の倍以上も生きられるようになったのです。

人間だけが手にできた自然寿命後の長い人生は、貴重な「おまけ」のようなものです。

幸運にも手にした「おまけ」の人生は、できる限り自由に楽しく、自分らしく生きていくことこそが、善き生き方なのです。

では、自由に楽しく、自分らしく生きるとは、どういうことなのか。

それは、自分なりの規範を掲げて生きていくということであり、これについてはのちほどじっくりお話しすることにしましょう。

自然寿命を過ぎたら、嫌なことはやめる

ぼくは自分の意に沿わない世間のルールは守りません。それでもちゃんと生きています。

何の支障もありません。とくに嫌いなのが儀式の類。入学式や卒業式には極力出席しないようにしています。

自分の入学した大学の入学式や卒業式にも出なかったし、もちろん、子どもたちの入学式にも卒業式にも出たためしがありません。

儀式に限らず、40歳をすぎたら、ムダだと思うことはなるべくやめていくのがよいでしょう。

まずは、上司の命令が的確で、重要だと思えた仕事だけはきちんとこなしておいて、ほかのどうでもいいような、細々とした命令は聞いたふりしてスルーするのが一番です。

上司が何かいってきたら、「えっ、聞いてないです。そんな話、されました?」とすっとぼけるなり、適当に返事をしておけばいいのです。

怒りだす上司もいるかもしれません。が、その場合、反論してもいいし、それが面倒で、疲れそうなら、柳に風、暖簾に腕押しで、ふわりと身をかわすのもいい。

40歳をすぎて、少しでも自由に生きたいと願うのなら、そのような「術」も身につけておきたいものです。

もう自然寿命をすぎたのです。これからは、できうる限り、欲望の解放をめざして、会社は食うための手段と割り切って、出世などめざさずに、嫌いなことはできるだけやらないようにしつつ、自分を解放しながら生きていきたいものです。

ネットの声

「経済書ですが、たぶんビル・パーキンス著「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」が参考になります。
たとえば自分が、この世を去る直前に預金残高が最高額になっていたとして、それは何ら経済的には正しくない。人生の意味や価値は体験に有る。即ち、体験価値が主軸で、経済価値は従なのです。体験価値を最大化する為に、お金を使う必要があるだけで、お金そのものに価値を見出すのは本末転倒なことになる。だから預金残高を最高額にすることを目指して努力し、ずっと苦労して富を築いたとして果たしてそれが何なのか?そうした事を考えさせる本です。
勿論、ひたすら頑張る人が、今も世の中に沢山居るのは事実です。しかし一歩引いて見れば、どうでしょうか?何のために頑張るのか?
その辺のものの考え方に、今の人類が罹っている病の元があるように思います。」

「とても興味深い考え方で、まったくもって同感。
自分も40半ばだけど、極力好きな事だけして、ストレスフリーに生きるようにしている。
まず時間をすごい大切にするようになった。無駄な事はしないし、不要もしくは気持ち良くない人間関係は時間の無駄ばかりでなく、ストレス溜まるのでほとんど断った。
休みの日は、本当にやりたい事と何が正解か?を考えて行動するようになったかな。気持ち良くお酒飲みたい時はそのまま飲むし、これ飲んだら変な酔い方しそうだな、とか体調悪くなりそうだな、と思った時は無理に飲まないで家でのんびりする。無理やり楽しくしてないと不安になったり、他と張り合うみたいのも良くないので、自分が本当にしたい事は良く考えて、楽しむ時は楽しむ、静かにする時は心身を休める。惰性で生きるとハリがないのて、新しく習い事して彩りを与えたり。今が一番楽しい!ってほどではないが、一番ストレスなく生きれてるとは思う」

「池田清彦さんは結構好きなんだけど、恐縮ながらそもそも自然寿命38歳の前提に納得できないかな。
「DNAのメチル化」を寿命の指標とすることが、人間に適用できるかどうかの議論はまだ充分でない。他の生物においても適用すべきか否かが目下研究中の指標なのに、あまりにも他の生物とは異質の人間にも、同列に適用するのは少し無理がある。

それに人間の極端な脳の発達もマクロで見れば自然現象の連鎖の結果なので自然寿命には違いないし、学習により自らの命を永らえることを「不自然」と捉えるならば大抵の学習する生物は不自然に命を永らえていることになってしまう。

シャチを始めとした、閉経後(繁殖できなくなった後)もめっちゃ長生きする哺乳類5種(現時点)の自然寿命はどうなのだろうか?

話の趣旨と少し外れて申し訳ないけど、前提からして引っかかってしまったもので。」

40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する 池田清彦 (著) 講談社 (2022/9/15) 990円

人間の寿命は38歳です。

現在は、医療の発達や栄養状態が良くなったために人間の寿命が延びるようになったのです。

生物学的に考えると40歳以上になったなら、人間は自分なりの規範を掲げ、上手に楽しく生きるようにした方が良いのです。

本書ではなぜ人間に生と死があるのかという初発的な疑問から、人間の進化の歴史、ファーブルのダーウィン批判など進化論論争から読む「生命の本質」まで、「人間の生と死」を幅広く考察します。

そして中高年齢期になったなら、人間は自らを解放し、自由に恋愛をし、社会システムの変革を心掛けることを提案します。

自分の生き方は自分で決める他はないのです。それが「かけがえのないあなた」を承認することになるのです。

個人の規範は大事であり、繰り返しと循環に基づく生活リズムを大切にします。

そして試行錯誤を繰り返し自分に最も良く合った生活習慣を身に付けることが重要です。

人生に目的や目標をもつことを生物学的に考えることが本書の狙いです。

金沢城のヒキガエルが最高の生き方(必要な餌を求める時間以外はほぼ大体寝ている)かもしれませんが、悲しいかな大部分の人間は目標を立てて頑張らないと善く生きられない生物なのです。

では他人との関係はどうするか。たとえ妻や夫であっても、基本的に他人です。

他人との関係も自分が最も気持ちよくなれる規範を持つことが大切です。

長寿になってしまった人間としての日々を生きる読者の「生きる価値」とは何か。

この問題を「人間の生と死」の生物学的視点から考察する本書は40歳以上の読者のみならず若い方にも読んで頂きたい必読書です。

池田清彦
1947年、東京都に生まれる。生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒業。東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、早稲田大学国際教養学部教授を経て、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、高尾599ミュージアム名誉館長。
著書に『構造主義生物学とは何か』(海鳴社)、『やがて消えゆく我が身なら』『生物学ものしり帖』(以上KADAKAWA)、『「進化論」を書き換える』『新しい環境問題の教科書』『この世はウソでできている』(以上新潮社)、『病院に行かない生き方』(PHP研究所)、『SDGsの大嘘』(宝島社)、『構造主義科学論の冒険』(講談社)などがある。

 

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