終戦後、北海道はロシア領になっていたかもしれない? 窮地を救った「知られざる英雄」とは
去る10月11日、兵庫・淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮に正装した紳士淑女が集いました。
とある「英雄」の銅像が完成し、その除幕式が行われたのです。
親日家として知られるアメリカの政治学者ロバート・D・エルドリッヂ博士や、サンマリノ共和国のマンリオ・カデロ駐日大使の姿も。
海外でも尊敬されている日本の“偉人”だというが、日本人の多くはその名を知らないでしょう。
しかし、北海道がソ連に占領されるのを防いだ英雄だと聞けばそうもいかないのではないでしょうか。
目次
ユダヤ人の入国を認めさせた「英雄」
「生前、祖父は戦争の話はほとんどしませんでした」と語るのは、バッハの研究で知られる音楽学者で、明治学院大学名誉教授の樋口隆一氏(76)。
淡路島で生まれた彼の祖父、樋口季一郎は、陸軍の情報将校としてロシア語を学び、ポーランドや満洲などに駐在。
終戦時の階級は中将で、北海道・樺太・千島を管轄する第5方面軍司令官でした。
1938年、ナチスの迫害からシベリア鉄道で満洲に逃れてきたユダヤ人たちがいました。
現地当局はドイツとの関係を考慮して入国を拒否するのですが、ハルビン特務機関長だった樋口が「これは人道問題だ」と主張。
ユダヤ人の入境を認めさせたのです。
後に〈ヒグチ・ルート〉と呼ばれるこの脱出路により、最大2万人のユダヤ人が命を救われたといわれます。
しかし、樋口が英雄と呼ばれる理由はそれだけではありません。
見本誌が届きました!#樋口季一郎 漫画連載第一話 pic.twitter.com/3k9MklaD1g
— 東雲くによし (@sonkoubun) October 26, 2022
「戦わなければロシア領にされていた」
「祖父は、北海道をソ連から守ったのです」(隆一氏)
日本が降伏を表明した後の45年8月17日、千島列島の最北端・占守(しゅむしゅ)島にソ連軍が上陸。
日ソ中立条約に違反した卑劣な侵略行為を前に、樋口司令官は「自衛のため断固反撃せよ」と命じます。
戦史に詳しい陸上自衛隊OBいわく、
「占守島には満洲から移駐した戦車第11連隊をはじめ、精強な部隊が残っていた。彼らの徹底抗戦に手を焼いたソ連軍は、とうとう北海道の占領を諦めました」
樋口は70年に82歳で亡くなりました。
ユダヤ人を救った日本人といえば、駐リトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)が有名ですが、樋口の名は一般にはあまり知られていません。
先の陸自OBは、
「杉原さんは外交官ですが、樋口中将は軍人。敗戦国日本では“軍人=悪人”でしたから」と嘆きます。
樋口が処罰されなかったからこそ、北海道がソ連軍に攻められた時(占守島の戦い)、辛うじて北海道をソ連から守ることができた。樋口はユダヤ人を救っただけでなく北海道をも救った。樋口が処刑されなかったのは、東條らに救われ、ユダヤ人のロビー活動、マッカーサーの理解にも助けられた#樋口季一郎 pic.twitter.com/PB2B0FatsP
— 中川暢三 (@nakagawachozo) October 28, 2022
その風潮も、今後は少し変わるかもしれません。
隆一氏が語ります。
「占守島で戦わなければ、北海道は今のウクライナのように蹂躙(じゅうりん)され、ロシア領にされていたはず」
樋口司令官ら軍人たちの必死の戦いがなければ、北海道がソ連の領土にされていた可能性は十分ありました。
そのことは、これを機に日本人の多くが知っておいてよい歴史でしょう。
日本で軍服姿の軍人の全身像が建立されるのは、戦後初だそうです。
戦犯覚悟で??日本の領土・北海道を死守する決断を下した樋口季一郎????英断してくれてありがとう???? pic.twitter.com/Untr7w6hL4
— @airi_deshi_555 (@airi_deshi_555) October 27, 2022
ネットの声
「樋口季一郎中将は、キスカ島撤退作戦時に将兵に三八式歩兵銃などの投棄を命じて短時間での撤退を容易にして作戦を成功に導いたことが知られています。
ヒグチ・ルートについては陸軍内部でも批判が起こったようですが、結果お咎めなしとなり陸軍はドイツからの抗議も受け付けなかったとのことです。
当時の陸軍組織の中で一貫した人道的立場からの合理的な行動をとることの難しさは、働いた経験のある者であれば容易に想像できます。それでも終戦まで要職に就き続けたのは氏の人柄もあったのでしょうか。
占守島での抗戦や、連隊長時代には部下が永田鉄山暗殺事件の実行犯となってしまうなど、歴史の要所に名前が出てくる方ですが、もう少し氏のことは知られても良いのではないかと思います。」「第二次世界大戦で敗戦したこと、要するに勝てない戦争を仕掛けたことは、どういう理由があるにせよ政府の致命的な間違いである。のみならず、政府の要職を独占した軍人が、戦争に疑問を持つ国民だとパージしながら、不利な選局を隠し続けた罪はあまりに重い。それに対する国民の怒りを戦後進駐軍に利用され、軍人=悪というイメージが日本で定着してしまった。
しかし、本来なら、軍人は命をかけて国を守ることを職業とする人たちなので、尊敬の対象になって然るべきである。元寇から日本を守った武士たち、日清・日露戦争の勝利に貢献した軍人、そして、樋口将軍のような、降伏後にも関わらず攻撃を加えた非道なソ連軍と戦った軍人などは、もっと称えられていい。こういうニュースを見ると、長年続いた戦後の呪縛がようやく解けつつあるように思えて、とてもうれしい。」「終戦後にまだちゃんと士気があって、闘えたのが凄い。しかも追い払えた。
終戦したんだから、御役御免、あとは知らんってなってたら、いくら後から国際機関に訴えても、北海道は北方4島と同じ運命だったでしょうね。
隣がロシアのような国である限り、戦争が終わっても、戦時体制を直ぐ解いてはいけないということを学んだ。
敗戦国だからって、やってることは同じなのに、外交官と軍人の立場で評価が違うのは、矛盾に満ちてる。
もう亡くなってる方が多いし、多くの方が生きてるうちに名誉回復出来なかったのは残念でなりませんが、責めて子孫のために、名誉回復してほしいです。」