アラ還世代には懐かしい…67年の東映三大ヒーロー秘話

東映特撮の原点!67年放送の三大ヒーロー、歴史の闇に埋もれた悲しき理由

「仮面ライダー」シリーズ、「スーパー戦隊」シリーズという二大特撮番組を製作し続けてる日本でも有数のヒーロー製作会社である東映。

そのルーツはどこにあるのでしょうか。

番組枠獲得が東映の悲願

東映がはじめて製作したTV作品は時代劇の『風小僧』(1958年)。

初の変身ヒーロー番組は『七色仮面』(1959年)です。

ここから東映TV作品は始まったと言えるでしょう。

その後、いくつかの特撮ヒーロー作品を生み出しますが、大きな分岐点となったのが『悪魔くん』(1966年)です。

この作品によって漫画家の水木しげる先生を表舞台に上げ、後にアニメ作品として『ゲゲゲの鬼太郎』を誕生させるきっかけともなりました。

この作品を生み出したのが、後に多くの特撮ヒーロー作品を生み出した平山亨さん。

その平山さんの初プロデュース作品だったのです。

この翌年の1967年、平山さんが生み出した3つの特撮ヒーロー作品。

それが現在に続く東映ヒーロー作品の原点です。

それはちょうど今から55年前のことでした。

当時、子供たちに大人気だった『ウルトラマン』(1966年)。

しかし、その丹念な製作方法がアダとなり、高視聴率を維持しながらも製作が放送に間に合わないという時間的な問題から放送終了となってしまいます。

次回作『ウルトラセブン』(1967年)の製作は決まっていましたが、どうしても半年の間、番組枠は空いてしまう。

そこで半年間、番組枠を維持するため、スポンサーの武田薬品工業とTBSは円谷プロ以外の製作会社に作品を作らせることを決めたのです。

この半年だけの番組製作という不利な状況に手を挙げたのが東映でした。

東映としては資本提携しているNET(現在のテレビ朝日)以外の局での番組枠獲得が悲願だったからです。

こうして『ウルトラマン』に続く『ウルトラシリーズ第3弾』である『宇宙特撮シリーズ キャプテンウルトラ』(1967年)は東映で製作されることになりました。

この『キャプテンウルトラ』は当時の子供たちにも大人気で、東映はタケダとTBSから高評価を受けます。

その功績で後に東映は円谷プロに代わって、この放送枠「タケダアワー」で『妖術武芸帳』(1969年)を製作、続いて『柔道一直線』(1969年)のヒットでスポコンブームをけん引しました。

あまりの金看板がマイナー化の原因に

しかし、『キャプテンウルトラ』という作品自体は金看板である『ウルトラシリーズ』が逆にアダとなります。

後年、『ウルトラシリーズ』が円谷プロ製作だけになったことで、『キャプテンウルトラ』は作品として扱いづらいものになってしまいました。

その結果、再放送もあまり行なわれず、歴史の闇に埋もれる形になります。

こういった事情から、当時の熱を知らない世代からいわれのない誹謗中傷のような評価を受けますが、『キャプテンウルトラ』はまぎれもなく一時代を築いた特撮ヒーロー作品のひとつでした。

多くの中高年にとってのマイベストヒーローでしょう。

横山先生が十八番とした「忍者作品」と「ロボもの」

『キャプテンウルトラ』と同時期に東映で製作されていたのが『仮面の忍者 赤影』(1967年)です。

実は『赤影』は別の作品として企画がスタートしていました。

本来は劇場作品として人気を得た『大忍術映画ワタリ』のTV化の予定だったのですが、原作マンガ『ワタリ』の作者である白土三平先生は、あまりにも原作と違うテイストになった劇場版に激怒して、TV化を断ってしまったのです。

そこで白土先生と同じく忍者漫画の大家である横山光輝先生に原作を依頼しました。

横山先生は人気作だった『伊賀の影丸』の連載を終了させ、新たに『週刊少年サンデー』で『赤影』の原作となる『飛騨の赤影』を連載します。

この原作マンガのタイトルは、後にTV放送に合わせて変更されました。

こういった経緯から企画書の段階から『大忍術映画ワタリ』に出演していた白影役の牧冬吉さんと青影役の金子吉延さんの名前は記されており、赤影役の坂口祐三郎さんは最後に決定したそうです。

放映日時の都合で本作が東映ヒーロー初のカラー作品となりました。

名前に色を入れたのもスポンサーの三洋電機がカラーテレビを普及させるためで、本作は最初からカラー作品として製作が決まっていたからです。

その完成度はとても高く、三洋電機も関西テレビ(フジテレビ系列)も大いに盛り上がりました。

しかし、それゆえにとんでもない事態になります。

それは「この完成度ならウルトラにも勝てる」と、よりにもよって東映で同時に製作していた『キャプテンウルトラ』の裏番組に当てようとしました。

これにはTBSも大激怒だったそうで、「もうウルトラはいらない」と放送中止も侍さない構えだったそうです。

しかし、この事態に平山さんはじめ東映のスタッフが関西テレビに時間帯変更を談判して、この一件は事なきを得ました。

この『赤影』が縁となって東映で製作した作品が『ジャイアントロボ』(1967年)。

平山さんによると、『赤影』で横山先生の所に出入りしていた時に次の連載作品として用意されていた『ジャイアントロボ』の絵を見て、即座に横山先生に許諾を得て翌日には企画書を書いたそうです。

それまでの特撮ヒーロー作品になかった巨大ロボによる目新しい作品は、当時の子供の心をとらえました。

作品は高評価で放送も延長される予定でしたが、予算をはるかに上回る製作費のために断念したそうです。

この『赤影』と『ジャイアントロボ』は再放送に恵まれ、特に関東地区では多かったことから世代を超えたファンを多数生み出しました。

後年にリメイク作品として製作されたことも、その人気の一端を証明していると思います。

55年前に製作された『キャプテンウルトラ』『赤影』『ジャイアントロボ』。

この3つの作品が、後に東映で製作された数多くの特撮作品の原典でした。

その影響力の大きさは特撮ファンなら誰でも実感していることでしょう。

ネットの声

「「ジャイアントロボ」は視聴率も好調であったがあまりに制作費が嵩んで東映自らの申し出で打ち切り、「キャプテンウルトラ」は舞台が地球以外という設定故にロケーション撮影がほぼ出来ずセットの費用が嵩んで大赤字。
これらの経験から後の東映製作の子供向け実写作品は予算管理が厳しくなった。故にこれらの作品の特撮シーンが後の作品に何度も使い回される結果となる。浮き沈みの激しい円谷プロに対して、東映は連綿とテレビヒーローものを製作し続けていけたのは、この厳しい予算管理にある。
「キャプテンウルトラ」は冨田勲さん、「ジャイアントロボ」は山下毅雄さんの音楽も素晴らしいと思う。」

「ライブで観ていたので、思わずウンウンと頷くこと多々。しかし、それ以上に知らない話も多かった。
赤影がワタリの代わりという話は何となく聞いたような覚えもあるが、白土先生を怒らせたという事は初めて聞いた。
もちろん、牧さんや金子さんが先に決まっていて坂口さんが最後、と言うのは全く知らなかった。
赤影をキャプテンウルトラの裏番組に当てる話も初耳。TBSが怒るのも無理ない。
ジャイアントロボは名作。予算で延長断念とは。。
登場する怪人が、少年ジェットなど昭和30年代番組のテイストを残しつつ、カラーで効果を高められており、今でも秀逸と思う。
三洋のカラーへの拘りは、手塚治虫のジャングル大帝がカラーで作成されたことでも有名。
昭和40年代のカラーTVは三種の神器扱いだったし、CMも相当力が入っていた。
感謝・・」

「最近この手の記事がよく目につき夢中だった幼き日々が感情を伴い甦る。シュピーゲル号は分離合体する戦闘機としてセブンのウルトラホークより先だった。敵のバンデル星人は一貫した悪役としてエースのヤプール人より此方が最初ではないかな?キャプテンよりキケロ星人のジョーが大好きだったが小林稔侍さんのファンにはならなかった。中田博久氏がキカイダーの光明寺博士だったと知ったときには驚いた!ジャイアントロボもTV仮面ライダーも平山亨さんがいなければ生まれなかった。赤影の仮面が鑑定団に出品されかなりの高額だったが生前にみてほしかった、リメイクに意欲を燃やされていた故に。ユニコーンと合言葉ナポレオンの切り札を何人が覚えているだろうか?私も年だが黒田氏森次氏藤岡氏達はまだまだ元気でいて欲しいと切に願う今日この頃ですね。」

おすすめの記事