昭和ライダー世代愕然? 仮面ライダーが「改造人間」ではなくなった「納得の理由」
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仮面ライダーシリーズは平成から設定が変わっていた!
仮面ライダーといえば、1971年の放送開始以来、50年以上も愛されてきた大人気ヒーローです。
昭和世代も平成も令和も、仮面ライダーで育ってきた子どもなら、年は違えど心はひとつ……と思っていたのですが、つい最近、衝撃の事実を知りました。
なんと、仮面ライダーは改造人間ではなくなっていた、というのです!
仮面ライダーに夢中になった子ども時代は遙か彼方、社会に出て仕事に追われ、視聴から離れていた昭和キッズにとっては、呆然というか愕然というか……。
「仮面ライダー本郷猛は改造人間である」のナレーションで刻み込まれた、あの設定がもはや存在しないとは!
仮面ライダーの「出たな!ショッカーの改造人間」というセリフに対して何故、怪人たちは「お前もだろ」とツッコミを入れないんだろう?#仮面ライダー#素朴な疑問#改造人間#ショッカー pic.twitter.com/skqLN1GVnU
— LIVE Planning(リヴプランニング) (@LIVE_Planning) November 25, 2022
平成に入ってから…
いったいいつからそんなことになっていたのでしょうか。
調べてみると、それはまさに時代の変わり目、平成仮面ライダーシリーズ第1作、オダギリジョーさん主演の『仮面ライダークウガ』からでした。
このあたりから、佐藤健さんや菅田将暉さんなどを輩出する若手俳優の登竜門的番組となったことには、薄々気づいていましたが、まさか改造人間ではなくなっていたとは。でも、なぜ?
石森プロの早瀬マサト氏によると、「医療技術が発展して人工臓器移植などが当たり前の時代になったから」なのだそうです。
仮面ライダーは改造手術を受けてスーパーパワーを得ましたが、現実の患者さんには偏見などに苦しんでいる人もいます。
初代ライダー誕生当時にはあくまで空想の世界だったことに、現実が追いついてしまったために封印せざるをえなかった、ということなのでしょう。
#仮面ライダー龍騎
ライダー達の戦いを見て恐怖を感じる拓也…。
吾郎も、北岡の戦う姿を初めて見て心が痛み、涙を流す…。「仮面ライダー」と言ったら子供達の憧れの存在。
でも現実は残酷なのだと、昭和では考えられない平成らしいエピソードですね。 pic.twitter.com/RVdRhwSvYz— ゆうれい小僧 (@ua98029726) November 21, 2022
昭和キッズと平成キッズの違い
ネビュラガスによる人体実験が行われる『仮面ライダービルド』、ゲーマドライバー(変身ベルト)を扱うための適合手術を受けた『仮面ライダーエグゼイド』などの例外はありますが、
平成以降のライダーたちは、普通の青年が変身ベルトなどの力で仮面ライダーとなるのです。
同時に敵も改造によって誕生した怪人ではなくなり、「超古代の先住人類」や「不死の生命体」や「宇宙生命体」などと戦うこととなりました。
平成ライダー、令和ライダーで育った子どもたちには「何を今さら……」でしょうが、昭和キッズにとっては、この事実は世界が反転するほどの驚きなのです。
昭和キッズの現在の関心事は、2023年3月に公開予定の『シン・仮面ライダー』(脚本・監督:庵野秀明)。
仮面ライダー1号・本郷猛と2号一文字隼人の活躍が描かれるようですが、そこでの改造人間設定はどうなっているのか。
今から公開が待ちきれません。
仮面ライダーは平成以降改造人間ではなくなったけどリスクや代償が半端なくなったんやで
クウガ=変身し続ければ戦闘狂になる
アギト=”なる前”でもアギトになる可能性があれば命を狙われる
龍騎=戦わなければ生き残れない
φ=一度死んで生き返らなければならない
剣=人間ではなくなる— ヘキサアイズ (@hexa_eyes) November 26, 2022
ネットの声
「もっとも仮面ライダー555のように、オルフェノクでないと使用できない特殊条件ありだったり、仮面ライダーゼロノスのように、変身する毎に大切なもの(桜井侑斗に関する記憶が関係者から消去される)が消えゆくリスクや、仮面ライダー剣のように、アンデッド同然と成り果てる等、お手軽に「仮面ライダーやりないな」感覚で変身できる訳でなく、仮面ライダーガタックの加賀美新や仮面ライダーバースの後藤さん、仮面ライダー轟鬼の戸田山くんみたいに、厳しい修練を乗り越えて新たな仮面ライダーになれる物語を作り出せる副次効果もあるのだけど。
そんな中で、仮面ライダージオウでのカブト編で、ガタックの変身が解除されても立ち上がる加賀美の手元にかつてなりたかったカブトゼクターが飛来して、2代目カブトになれた展開は胸アツでした。」
「改造そのものよりも、「人間ではない」「もう人間に戻れない」(原作以外雑誌媒体等の表記含む)の表現が現実と重ねられてしまうリスクを、製作者側が避けたのではないかと思われます。
現実が追いついた件については、原作終盤の「日本政府のコンピュータ国化計画」「日本国政府が国民を番号(コード)で整理しようとする」などもあります。ショッカーはこれに便乗して国民の意思を奪い支配しようとしますがこれもこれも形を変えて、、、たとえば集めたデータとその運用や制限を可能とする権限が他国の第三者に握られたり、、、現実化するのではないかと考えます。」
「ライダーもショッカーの怪人も、人では無くなった者同士の対決であり、そこには悲哀と人では無くしてしまった存在への怒りがある。哀しきヒーローはキャシャーン等でもみられる、既存の正義のヒーローへのアンチテーゼであり、物語に深みを与える大きな要素と言えた。この設定の変更は、新たな表現の場として登場したTVメディアが、自由と挑戦の気概を喪った証拠だろう。」