1984_小林克也と達郎サウンドとアメリカンDJサウンド

アメリカンDJスタイル、小林克也の声に乗って達郎サウンドがやってきた!

ファッションにも音楽にもあった“西海岸に学べ!”という空気

どこのCMだったか「LAには1日中ロックだけを流している FM局がある…」というナレーションに遠い憧れを抱いた音楽ファンは少なくないでしょう。

しかし当時は民放 FM局が FM東京(現 TOKYO-FM)だけという有様に、不毛な日本の電波行政を嘆くしかなかったのです。

米西海岸ブームっていうのは、明確にいつというのはないのですが、とにかく当時はファッションから音楽まで「西海岸に学べ!」みたいな空気があったのは確か。

小林克也のナレーションに馴染んだ山下達郎「COME ALONG」

やがて我々は小林克也という伝道師を得て、初めは単なるものまねとしか思わなかったアメリカンDJのスタイルに魅了されていくことになるのですが、山下達郎の『COME ALONG』『COME ALONG Ⅱ』という2枚の LP が発売されたのは、そんな1984年の春のことでした。

実は『COME ALONG』については、1980年にカセットのみで限定販売されたものが珍品としてファンの間で出回っており、耳聡い大学の先輩から聴かせてもらって感激した覚えがあります。

洋楽ならともかく日本のアーティストの楽曲が、見事にアメリカンDJに馴染んでいることにまず驚き、改めて山下達郎のレベルの高い音作りに気づかされることにもなったのです。

FM放送は“音源”から“聴き流すもの”へ

これらのアルバムの発売に至る経緯は、ウィキにも紹介されているのでここでは省きますが、それまで邪道行為であった「イントロにナレーションをかぶせる」というスタイルが許容され、時代的に急速にカッコいいものに変わりつつありました。

当時は「エアチェック」といって、FM放送は楽曲を録音するリスナー達の「音源」でしたし、番組によってはDJが曲目紹介の後、必ず「… 続けてどうぞ」という配慮をしていました。

もちろん急にそれらが廃れてしまったわけではありませんが、今思えば FM放送が「音源」から「聴き流すもの」へ変わっていく、きっかけだったようにも思えます。

翌1985年末、関東地区に第2の民放 FM局「FM横浜」が開局。

明らかに先行局とは異なる番組編成や演出を我々は大歓迎で受け容れられたのです。

時にJ-WAVEが開局する約3年前のことです。

おすすめの記事