トヨタと三井住友銀行の確執…不仲説がささやかれる理由とは?

日本最大の企業トヨタと超有名銀行が険悪? 不仲説がささやかれる理由

「トヨタ自動車」は日本最大の上場企業です。

時価総額は2022年8月10日時点で34兆円を超えており、2位の「ソニーグループ」に約20兆円もの差を付けました。

【時価総額ランキング(2022年8月10日終値時点)】

1.トヨタ自動車:34兆656.94億円
2.ソニーグループ:14兆1367.27億円
3.日本電信電話:13兆5608.15億円
4.キーエンス:13兆2353.62億円
5.KDDI:9兆5646.49億円

出所:ヤフーファイナンス 時価総額上位

投資初心者の多くがトヨタ自動車株式の購入を検討するのではないでしょうか。

8月28日はトヨタ自動車の創業日です。

今日はトヨタ自動車について、その成り立ちや三井住友銀行との不仲説について押さえましょう。

業は織機の製造。最初の車は3350円

今でこそ自動車の世界的メーカーですが、トヨタ自動車は織機(しょっき)の製造から事業をスタートします。

織機とは布を織る機械のことです。

当時は全て人力で、生産能率もよくありませんでした。

そこで豊田佐吉が片手で布を織れる「豊田式木製人力織機」を発明し、1891年に特許を取得します。

同様に、1894年に紡いだ糸を織機の縦糸用に巻き直す「豊田式糸繰返(くりかえし)機」を完成させ、繰返機の製造・販売のために1895年に「豊田商店」を設立しました。

現在の「豊田自動織機」の祖であり、トヨタグループで最も古い歴史を持ちます。

トヨタ自動車が本格的な車づくりに乗り出すのは1933年です。

豊田自動織機に自動車部を設置し、外国車を購入して研究を始めました。

そして1936年、最初の量産車「トヨダAA型乗用車」を3350円で販売します。

1937年には現在のトヨタ自動車となる「トヨタ自動車工業」が設立されました。

トヨタ自動車工業は2度の世界大戦を乗り越え、1982年にトヨタ自動車となります。

2008年には販売台数がゼネラルモーターズを抜き、世界で1位となりました。

現在では世界販売台数首位の常連で、2021年まで2年連続で世界一を獲得しています。

【トヨタ自動車の業績】

フラッグシップ「クラウン」を大幅モデルチェンジ

先日、トヨタ自動車の主力車種「クラウン」の新デザインが発表されました。

「クロスオーバー」「スポーツ」「セダン」「エステート」の4タイプが初めて公開され、大幅なデザイン変更に驚いた人も多いかもしれません。

例えば「クロスオーバー」はSUVの要素を取り込み、先代よりも車体が一回り大きくなりました。

車高も高くなり、従来のセダン然としたクラウンのイメージを一変させています。

近年、セダンタイプの自動車は売れ行きが芳しくありません。

トヨタ自動車はセダンタイプの「マークX」を2019年12月に、「プレミオ」と「アリオン」を2021年4月に販売終了しました。

反対にSUVが人気を集めており、メーカー各社はSUVのラインアップを厚くしています。

クラウンもデザインにSUVの要素を盛り込むことで生き残りを図っているのかもしれません。

実は仲が悪い? 三井住友銀行との確執のうわさ

トヨタ自動車は時々「三井住友銀行と仲が悪い」といわれることがあります。

なぜそのようなうわさがあるのでしょうか。

理由は、トヨタ自動車が戦後に迎えた経営危機にあります。

1949年、GHQの統治下で日本にドッジラインが実施されました。

金融と財政の緊縮政策であり、インフレを収める効果はあったものの、製造業を中心に不況を招きます。

トヨタ自動車も不況のあおりを受け、2億円もの資金不足が見込まれる事態に陥りました。

トヨタ自動車は存続のため、織機時代から取引があった大阪銀行(現在の三井住友銀行)に助けを求めますが、融資はかないませんでした。

その際、「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」と言われたと伝わっています。

結局、日銀のあっせんで協調融資が実行され、トヨタ自動車は窮地を脱しました。

このエピソードから、トヨタ自動車と三井住友銀行は不仲であるという説があります。

しかし現在、両者に確執があるようには見えません。

トヨタ自動車は社外取締役に三井住友銀行出身者を持ち、三井住友銀行も他行と協調し新型コロナウイルス対策としてトヨタ自動車に計1兆円の融資枠を設定しました。

内情を詳しく知ることはできませんが、トヨタ自動車と三井住友銀行は少なくとも表面的には良い関係を築けているのではないでしょうか。



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