日本の小型潜水艇「海龍」の秘話

日本の小型潜水艇「海龍」~深海の小さな殺し屋~

魚雷攻撃を行う小型潜航艇として開発されながら、戦局の悪化により水中特攻兵器とされた小型潜水艇「海龍(かいりゅう)」。

その知られざる開発秘話に迫ります。

小型潜水艇は運用が難しい

従来の甲標的とは異なり、より操作性を向上させた新しい小型潜水艇として、「SS金物」という秘匿名称で開発が開始されました。

隠密行動能力が高い潜水艦はきわめて有効な海洋兵器ですが、その建造には時間とコストと資材が必要となります。

しかし「小型の潜水艦」すなわち小型潜航艇なら、潜水艦と同等の隠密行動能力を備えつつ、潜水艦よりもずっと短い時間と安いコスト、それに少ない資源で建造が可能。

このような「表面上の理由」から、日本ばかりかドイツの例を見ても、劣勢となった国では、小型潜航艇を量産するのが常なのです。

しかし小型潜航艇は、既述の「表面上の理由」の裏に大きな問題を抱えていました。

当時の技術では、「潜水艦の小型化」にともなう劣悪な操艦性、短い航続距離、非力な攻撃力などの問題を解決できなかったのです。

そのため、小型潜航艇そのものは完成したのですが、運用が難しいという事態に至るケースがほとんどでした。

魚雷発射のあとは体当たり兵器として

「SS金物」は、小型潜航艇とはいえ、その操艦に航空機の概念を採り入れた水中翼を用いるものでした。

魚雷は、艇外の左右の側面にそれぞれ1本ずつ、計2本をキャニスターに収めて搭載。

発射時には、まずロケット・モーターが点火され、キャニスターの先端の蓋を吹き飛ばして魚雷が撃ち出されます。

一方、その反動でキャニスターは後方にずれて投棄される仕組みだったのです。

しかしこの発射方式だと、魚雷射出時の急激なトリムの変化やキャニスターの投棄によるバランスの変化への対応が難しく、最終的には、艇首に爆薬を600kg充填した体当たり兵器として運用されることになりました。

乗員は艇長と艇付の2名で、艇内はきわめて狭隘なので2名が順序よく乗艇しないと、艇内での位置の交代は困難でした。

実戦には参加せず

やがて「海龍」と命名され、終戦までに約220隻が完成し、約200隻が建造中だったそう。

しかし「海龍」は、実戦には一度も参加せずに終戦を迎えました。

とはいえ、当初予定されていた魚雷攻撃を行う小型潜航艇ではなく、結局は魚雷という攻撃兵器を運用するためのギミックを排除して、開発と生産を簡素化した水中特攻兵器とされてしまったので、実戦に使われなかったのは幸運だったかもしれません。

ネットの声

「> 実戦に使われなかったのは幸運だったかも知れない。
アタマで考えると小さな潜水艇がコッソリ敵艦に忍び寄り近距離から確実な魚雷攻撃、となるのだろうが…はっきり言ってどうにもならん装備の一つ。
甲標的以来の呪縛と思う。真珠湾でも機動部隊側は使ってくれるな、と念押ししたのにムリやり使って戦果は無くあるのは損失のみ。捕虜1号はむしろ幸運な生存者。操縦には超人的な技量を会得する必要があった、と。」

「特攻は大日本帝国が戦時中に犯した過ちの中でも最大級の物。しかもこんな特攻兵器まで生み出すに至っては狂気の沙汰。加えてこの「海龍」の水中速力は僅か10ノットで航続距離も約70キロ。これでは体当たりも困難。この海龍は確かに「深海の小さな殺し屋」かもしれない。味方殺しだが・・・。」

「特攻隊も敵艦に到達する前に殆どが撃ち落とされる、人間魚雷も射程距離に近づけるなら雷撃の方が確実で早いだろ。」

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