バブルのときは清里がすごかったけど現在はどうなった?

軽井沢と並ぶブランド避暑地・清里がメルヘン廃墟化「まるで人類滅亡後の世界のよう」

日本が絶好調に浮かれていた80年代のバブル時代、「清里」は大ブームになりました。

“山梨県の原宿”と呼ばれ、タレントショップやペンションが乱立。

若者がこぞって押し寄せました。

しかし90年代に入り、バブルが崩壊。同時に清里ブームも終焉を迎えたのです。

“メルヘン廃墟”と化している「清里」の今

この時期の清里は閑散期ではありますが「それにしても」というくらい駅前には人がいません。

駅前には現在も、パステルカラーのお店が並ぶ……当時のままの光景。

しかし、開いているお店は数軒のみ…。

駅を出て少し歩くと、ポットの形の建物が現れました。

その向かいには、パステルカラーのお城も。

店の中は当時のまま放置されていて、ファンシーな小物も展示されたままです。

その近くには、樹の精、キノコ、カタツムリのキャラクターが飾られた建物がありました。

まるで○ィズニーランドみたいです。

もともとは清里を代表するショッピングモール『清里ひろば(ワンハッピープラザ)』だったそうですが、いまはフェンスで囲われています。

取り壊し工事でもはじめるのでしょうか。

そう思いましたが、違ったようです。

なんと、サバイバルゲーム用のフィールドとして再利用されていたのです。

本物のショッピングモールでエアガンを使った戦争ごっこができたら、それはきっと楽しいに違いありません。

少し離れた場所に、緑と黄色の派手な廃墟がありました。

建物の前は大きな駐車場になっていて、大型バス用のスペースがいくつもあります。

以前はたくさんの人が訪れていたのでしょう。

かけられた看板を見ると、『北野印度会社』と書いてあります。

かつて大人気だったテレビ番組『天才たけしの元気が出るテレビ』、その番組の企画で出店されたカレー屋だったのです。

番組では『元気が出るハウス』というタレントショップを、東京・原宿、京都の嵐山などに作っていました。

しかし、それらは現在、1つも残っていません――取り壊されなかった清里だけが、2022年の今も当時の姿を遺しているのです。

80年代、清里は、明るく軽薄でチープな建物やキャラクターが並ぶ街でした。

しかし時代の流れとともに、それらは消え去り、忘れ去られていきました。

清里はバブル的な人気が出て、そしてそのまま一気に衰退。

なので当時の様子が奇跡的に残っているのです。

まるで、ヴェスヴィオの大噴火で地中に埋もれたポンペイ遺跡から発掘されたローマ帝国の都市のようです。

人類滅亡後の世界を歩いているような気持ち

少し霧がかった無人の街を歩いていると、人類滅亡後の世界を歩いているような気持ちになってきました。

かつて、清里は同じく避暑地である軽井沢と並び称されていました。

同じく若者が大挙して押しかけ、タレントショップができる町だったのです。

とくに旧軽井沢のメインストリートなどが清里と近しい風情でした。

しかし、軽井沢はバブル崩壊後、上手に元の姿に戻っていきました。

いまも賑わっており、老舗ホテルや画廊、高級ベーカリーやおしゃれなレストラン、ジャムやチーズ、ソーセージなどの商店が立ち並びます。

大人が楽しめる、ちょっとセレブな避暑地、リゾート地としての活気を取り戻しているのです。

実は清里も、東京都内からの距離は、軽井沢とほとんど変わりません。

唯一、リゾート地として軽井沢に勝てないポイントがあるとしたら、温泉施設がない点でしょうか。

なにしろ軽井沢は温泉が出ます。

あの星野リゾートを生み出した『星野温泉』があるのです。

それはイメージ抜群でしょう。

リゾート地にとって、イメージはとにかく大事なのです。

ひょっとするとバブルがはじけ“負け組”“廃墟の町”とレッテルが貼られてしまったことこそが、清里の最大の敗因かもしれません。

駅前には清里の街の歴史が年表となって掲げられていました。

1875年に清里村が誕生。

1945年日本アメフトの父ポール・ラッシュ博士が清里を開拓。

1972年鉄道の無煙化。

そんなかなり細かいできごとまでが書かれているのに、バブル時期のことは一切触れていないのです。

あのバブル時代のできごとは、清里にとって黒歴史なのかもしれません。

寂れているが、飲食店やクラフトビールも

駅前は寂れていますが、少し離れた場所には飲食店がたくさんあることに気がつきます。

『清里レストラン&コテージ睦』というお店で、名物の「湯もりほうとう」というものをいただきました。

あたたかい手打ちのほうとう麺を野菜の入ったつけ汁で食べるものですが、これがちょっと、びっくりするくらい美味しいのです。

店主にお話を伺うと、お店ができてもう37年になるそう。

「当時はすごかったですよ。夏も冬も大賑わいでした。冬は新たにスキー場ができたこともあって、大勢人が押しかけて……。つねに大渋滞でしたね。他県から訪れてくれたのに、駐車場がいっぱいで停められずに帰ってしまうお客さんもいました。そういうことがあったら、もう2度と来てくれなくなるだろうな、って残念に思っていましたね。
今はのんびりしていていいですが、銀行が撤退してしまったり、酒屋さんもなかったり、ちょっと不便なこともあります。でも駅から少し離れた場所には、まだ遊べる場所もたくさんありますよ」

店主に聞いたスポットに足を運んでみました。

駅の南にある複合施設『萌木の村』には本格的なバー、カフェが並んでいます。

オルゴールミュージアムや体験型の工房もあります。

閑散期にも関わらず、何人も人が訪れていました。

オープン50年を超えたオシャレな老舗レストラン『ROCK』でハンバーグを食べましたが、非常に美味でした。

ビールも自家製で、一味違う味わいです。

駅の北側にある『清里の森』も同じように賑わっていました。

その北側には大きな別荘地があります。

徒歩では厳しいですが、自動車があれば楽しめそうです。

また周辺には牧場が多く、馬が走っている様子や、牛や羊が放牧されている様子が見られます。

ノスタルジックな風情あふれる清里も、これはこれで乙なもの。

密を避けての旅行先として、もっと注目を浴びてもいいと思います。

ネットの声

「もともとリゾートとしての歴史も違うけれど、長野新幹線が開通して、清里と軽井沢には大きな差がついたと思います。

地域にもよるけれど、首都圏からの行きやすさは車を使えば似たようなものだけど、公共交通利用だとトンネル多く速度が出ない中央本線、その後2時間に一本レベルの小海線に乗り換えと長野新幹線一本では全く違います。

清里駅前が閑散としてしまったのは駐車場がないのも大きいと思います。

駅からは遠いが、駐車場がある清泉寮、萌木の村などはそこそこ賑わっています。

清里を含む八ヶ岳エリアは軽井沢のように面状に広がる観光スポットは無いけれどが、その分、観光バスが押し寄せるような混雑はほとんど無いし、メインの道路が限られていて週末など大渋滞になる軽井沢と比べて、大渋滞はほとんどないので、のんびり過ごすには良い場所だと思います。」

「清里駅周辺に関しては記載の通りですが、清泉寮はいつも多くの人で賑わっているし、八ヶ岳山麓のファーマーズマーケットも盛況です。ビーナスラインとセットでROCKを訪れるライダーも少なくありません。
自分も何度か避暑や観光に来ていますが、ミーハー路線が完全に廃れ、高原の自然をのんびり楽しむ方向に転換したという表現が正しいのでは。」

「清里と伊豆諸島の新島はバブル期にもてはやされて結果的にそれが仇になっていますよね。新島は世界的なサーフィンのスポットとして再生されましたが、清里はいまだに抜け出せずにいる感じです。

新幹線のできた軽井沢に比べると交通の便が良くないですし、税金使って廃墟を撤去する訳にもゆかずで、再生法があるのかと思ってしまいます。」

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