土門拳は「こども写真」の名手でもあった。
1935年に報道写真家としてのスタートを切った土門拳の、戦前の出世作をはじめ、戦後の名作『筑豊のこどもたち』を含む、1950年代という戦後の困難期、日本に沢山のこどもがいた時代まで、名作を164点収録!
生き生きと輝く「こどもたち」を一冊に!
1935年(昭和10)に「報道写真」を掲げる集団「日本工房」に入って以来、「報道写真家」として激動の日本を記録。
土門拳の写真は凄い。その辺にいる子供を撮っても、まるで黒澤映画のよう。今日9/6は黒澤明の命日です
(土門拳『筑豊のこどもたち』’60 パトリア書店刊より) pic.twitter.com/5zVE6OmlA7— 廣川 (@h_mi2h) September 6, 2019
「文楽」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「風貌」「古寺巡礼」など、幅広いテーマに取り組み、写真史に残る不朽の名作を数多く残した土門拳は、こども写真にも定評があり、戦前、伊豆取材中に撮影した水遊びをする少年の写真は土門の出世作のひとつとなった。
戦後は写真雑誌に「こども」のスナップ作品を発表。
東京・深川地域に通って写真集『江東のこども』の刊行予告まで出すが、当時の社会情勢を考慮して、みずから断念する。
1959年、日本の産業構造の転換で石炭産業が合理化され、閉山が続く北九州・筑豊の炭田地帯を取材。
そこで出会ったるみえ・さゆり姉妹をはじめ、貧困にあえぐ炭鉱労働者の生活を記録。ザラ紙に印刷した定価100円の写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店・1960年)を出版。
10万部を売り、続編『るみえちゃんはお父さんが死んだ』(研光社・1960年)とともに社会的に大きな話題となって、テレビドラマ化、映画化された。
その疲労から脳出血で倒れ、後遺症により以後、35ミリカメラでの撮影を断念した。
1950年代に撮影された、生き生きと屈託なく遊び、躍動感あふれるこどもの写真は、時代を超えて見る者の心を熱くする。
同時に、そこには日本の社会や世相が写し込まれ、高度成長期前の日本の記録としても貴重である。
土門拳写真集「こどもたち」
①江東区白河町のこども
紙芝居(昭和28年)
②江東区白河町のこども
笑う子(昭和28年)
③東京永田町国民学校
読み方(昭和17年)土門さんは子供の一瞬一瞬を見事にとらえてますね???
今日も肩の力を抜いて、気持ちを楽にして、穏やかに過ごせますように?????? pic.twitter.com/SpLMDQN3zy
— kemi328(いいねを押しても時々消えてしまいます????低浮上ですみません??????) (@kemi328) April 12, 2021
著者について
土門 拳 どもん けん
1909~90年(明治42 ~平成2)。山形県酒田市生まれ。1935年(昭和10)に「報道写真」を掲げる集団「日本工房」に入って以来、「報道写真家」として激動の日本を記録。「文楽」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「風貌」「古寺巡礼」など、幅広いテーマに取り組み、写真史に残る不朽の名作を数多く残した。
1950年代に撮影された、生き生きと屈託なく遊び、躍動感あふれるこどもの写真は、時代を超えて見る者の心を熱くする。同時に、そこには日本の社会や世相が写し込まれ、高度成長期前の日本の記録としても貴重である。
全作品を故郷の酒田市に寄贈し、1983年、日本初の写真美術館として土門拳記念館が開館。テーマを設けて通年作品を展示している。
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