終活なんか、するもんか みのもんた (著) 朝日出版社 (2021/6/26)

人生に、ファイナルアンサーはない。

この夏に喜寿を迎える、みのもんたが初めて語る、最愛の妻を失ってからのこと。

仕事のやめどき。

病気との向き合い方。

人生は、7回裏からが面白い。

2021年の8月で、僕は「喜寿」を迎えることになります。

77歳です。

この風習が庶民に根付いたのは、江戸時代になってからだといいます。

還暦祝いに赤いちゃんちゃんこを昔は着せられたように、喜寿の祝いには、紫色の座布団や枕、扇などを送ってお祝いをするのが正しい風習だということですが、僕はそんなものはちっとも欲しくありません。

平均寿命が30代だったと言われる江戸時代ならば、77歳は、それはそれは、奇跡的な長寿としてお祝いもするべきだったでしょうが、今の世は人生100年時代。

還暦、古稀、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百寿と一体何回お祝いされなくてはならないのか。

寿命が40~50代で終わっていた明治時代までは、人生とはテニスやバレーボールのような「3セットマッチ、5セットマッチ」でした。

だけど今の時代、人生とは9回までゲームの続く野球のようなものだと思います。50代ならば、5回裏表。還暦でもまだゲームは6回を迎えたところ。

僕は今年77歳だから、人生は7回裏なんです。

面白いゲーム、印象に残るゲームとは、終盤戦がいかにドラマチックだったかにかかっています。

8回表での大量得点もあれば、9回裏でのさよならゲームもある。

あわよくば、延長戦11回まで試合がもつれ込むこともある。

だから今を生きる僕たちが、70代、80代だからといって「人生の幕引き」を考えてばかりではもったいない。

人生を監督するのは、ほかならぬ自分自身です。

名監督だったかどうかは、後になって他人が評価すればいいだけのことで、思う存分、試合に挑むのみ。

昨今、テレビや新聞や週刊誌さえも、「終活、終活」と、人生の終わりを考えなさいという特集が増えて、僕はいささか食傷気味です。

「終活」の二文字を見ると、げんなりとしてしまいます。

そんなに死ぬことばっかり考えて楽しいの?

つい毒づく自分がいます。

老後だからこそ、毎日毎日、楽しいことを考えて生きていたいと思いませんか?

7回や8回の試合中に、ゲームセットのことばかり想像している監督はいないでしょう?

「早く試合を終わらせて、風呂に入って寝たいなあ」とベンチでぼんやりしていたら、即座に監督失格です。

あと何点取れるか。あと何球投げられるか。人生の珍プレー好プレーはまだまだこれから。

否、いよいよ、これから。そんな想いから、この本を書いてみます。

2021年 夏 みのもんた

本書目次
*第一章 男の引き際は、人それぞれ*
還暦を過ぎて初めて気がついた仕事の楽しさ
歳をとったら、人のいいところばかりを見て生きる
元気に挨拶ができるうちは、仕事ができる
世の義理を教えることも、年配者の仕事
仕事のない日でも、腕時計をつける理由
歳をとったからこそ、「粋」な生き方を目指して
「老い」を認める。でも「老い」をけなさない
「ちょっとした無理」を楽しむ
「一期一会」を噛みしめる
それでも僕は、一円玉を拾う
「引退」はしない――人生の「潮時」を読む

*第二章 妻を失ってからの人生*
人生に迷ったときは、常に妻に相談をした
空っぽにならなかった冷蔵庫
妻に見抜かれているくらいが、うまくいく
不倫騒動――そのとき、妻は
絆を強くした夫婦茶碗
最後の夫婦旅行
仕立直された喪服と、スクラップブック
妻よ、僕は後追い死はしない

*第三章 終活なんか、するもんか*
天命は、恋をしながら待つ
「終活」は心が萎える。やるべきは「生前整理」
呑んで、燃やして、捨てる。そしてまた次のステージへ
「葬式」は、やらないと決めた
「暑い」「寒い」「疲れた」「忙しい」は言わない
70歳過ぎたら、人の名前が出てこないのは当たり前!

*最終章*
老兵は、黙って去るな! ――これからの日本を想う


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