
不倫、不審死…今も伝説の尾崎豊につきまとったスキャンダル
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追悼式には熱狂的なファンが押し寄せた
「1992年、26歳で夭折した尾崎豊さんの追悼式には、熱狂的な若者のファンを中心に、約4万人もの人々が押し寄せました。そして死後約30年たってもなお、多くの“尾崎信者”が存在し、カバー曲を歌うアーティストもいて、その影響力は計り知れません。伝説のアーティストといっても、差し支えないでしょう」
そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん。
小学生のころから学校になじめず、サボって家にいるときに、兄のクラシックギターを手にとったことが、尾崎と音楽との出合いだったといわれています。
ピエール瀧さんがコカインで逮捕されたことによって電気グルーヴの楽曲の配信が自主規制されたことにいろいろな意見があるけど、そもそもが覚醒剤で死んだ尾崎豊さんの楽曲が普通に配信されて普通にカラオケで歌われている時点で「どこに自主規制のライン」があるのか、あたしにはまったく分からない。
— きっこ (@kikko_no_blog) April 17, 2019
“卒業”でブレイク
中学時代、喫煙が原因で停学処分を受けるなどした尾崎は、青山学院大学の付属高校に進学するも(のちに自主退学)、喫煙やオートバイ事故、飲酒といった問題行動を繰り返していました。
そんな高校時代、CBSソニー主催のオーディションに合格し、1983年、シングル『15の夜』と、アルバム『十七歳の地図』をリリースして、デビューを果たしたのです。
しかし当時はそれほど、セールスが伸びなかった。
「尾崎豊の名を誰もが知るようになったきっかけは、『卒業』(1985年)だったのではないでしょうか」(牛窪さん・以下同)
学歴社会、管理教育が社会問題化していた時代に、尾崎は“若者たちの教祖” “10代のカリスマ”と祭り上げられた。
尾崎豊、覚醒剤で逮捕される前が好きだった。逮捕されたからではなく音楽性が変わったから。一番好きな曲は「ダンスホール」。このストーリーが好き。
— トム (@tom_cat23) March 8, 2010
覚醒剤取締法違反容疑で逮捕
「“ツッパリ文化”が台頭していた’80年代、警察を“ポリ公”、教師を“先公”と呼び、公権力に反発する風潮はすでにありましたが、尾崎は社会や道徳、倫理といった、もっと大きな支配からの“卒業”を題材としました。だからこそ、時代が移り変わっても普遍的に愛されているのではないでしょうか」
『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』(ともにアルバム『十七歳の地図』収録)などを生み出し、スターダムを駆け上がった尾崎。
しかし、常にスキャンダルがつきまとっていました。
「1987年に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され(1988年に懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決が下される)、’91年には女優の斉藤由貴さんとの不倫が発覚。そして’92年、不審な死を遂げてしまいます。多くの謎を残した、あまりにも突然の死に、ファンのみならず一般の人々も衝撃を受けました」
生きていれば今年、56歳――。
つねに生きづらさを抱えていた尾崎は、いまの社会をどのように歌い上げたでしょうか。
ネットの声
「情報化社会の今だったら、こんなに神格化はできなかったし、ならなかったと思う。
記憶がその時点で止まってる人たちが、いまだに神格化したまま情報の更新がされてないようだけど、すでに事実ははっきりしている。
アメリカに行った際に、覚せい剤を覚え、完全に覚せい剤の依存症になり、日本に戻ってからもどんどんひどくなり、最後は裸になって、全身傷だらけで死んでいった。
歌に対する才能は豊かだっただろうが、人間としてはあまりにも弱かったのでは。」「育った家庭環境が悪かった訳でもない。本人は学校に馴染めないなど辛い思いがあったようだけれど。何であんなに落ちて行ったのかが本当にわからない。
不良の曲を歌ったからって、自分がドラッグやる必要ないし、あんなに格好いいミュージシャンが凄くダサい生き方して、死んでしまった。
神格化しないでもらいたい。」「もう亡くなった人のスキャンダルはやめてあげて。知ってる人は知ってる。
音楽は残る。それでええやん。」