「死後の世界の存在を信じますか?」原子力工学の第一人者が明かした“死後”についての“意外な考え”とは
「死後の世界はあるのか?」という問いに対して、古今東西の思想家や宗教家、科学者たちはさまざまな考えを述べてきました。
しかし、その答えはいまだ明示されていません。
一因には、これまで数百年存在してきた“「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間”が挙げられるでしょう。
目次
「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間
もとより、人類の歴史の中で、無数に報告されてきた「不思議な出来事」や「神秘的な現象」の中には、たしかに、単なる「錯覚」や「幻想」であったものも多い。
ときには、意図的な「手品」や「詐欺」であったものも少なくありません。
しかし、それでも、やはり、それを単なる「錯覚」や「幻想」、「手品」や「詐欺」として切り捨てることのできない、信憑性や真実性が高い「不思議な出来事」や「神秘的な現象」があることも、厳然たる事実です。
そこで、人類の歴史の中で無数の人々が体験してきた「不思議な出来事」や「神秘的な現象」というものが、現実に存在することを認めたうえで、そうした出来事や現象が、なぜ起こるのかを、どこまでも「科学的な視点」から論じたいと考えています。
具体的には、近年、「最先端の量子科学」が提示している一つの仮説を用いて、人類の歴史始まって以来、謎とされてきた「宗教的な神秘」の解明を試みます。
さらに、その解明を通じて、人類にとって最大の謎とされてきた「死後の世界」について、やはり「科学的な視点」からの解明を試みます。
そして、それらの試みを通じて、筆者は、これまで数百年存在してきた、「科学」と「宗教」の間に横たわる深い谷間に、理性的な視点からの橋を架け、21世紀における「科学」と「宗教」の融合を試みたいと考えています。
死後の世界について真面目に、科学的に論じた本を読んでみたい。あるのかないのかは正直、わからんけど。あって欲しいと思う一方で、ないんじゃないかなーと、年々感じるようにはなってきてる。それはそれで気分的には楽かも。
— 青橋由高 (@yutaka_aohashi) November 5, 2022
「死後の世界は存在するか」三つの答え
しかし、その話を始める前に、あなたにも、先ほどの「問い」を投げかけます。
あなたは、「死後の世界」の存在を信じるでしょうか。
これは、我々の人生において、最も大切な問いであり、誰もが、必ず考える問いですが、では、あなたは、「死後の世界」の存在を信じるか、と問われたならば、何と答えるでしょうか。
実は、この問いに、どう答えるかによって、我々は、大きく三つの立場に分かれるのです。
第一は、「死後の世界の科学的否定論」であり、現代の科学が主張するように、肉体の死とともに意識も消滅し、すべては「無」に帰すると考える立場です。
第二は、「死後の世界の宗教的肯定論」であり、古くから多くの宗教が語ってきたように、肉体の死後も意識は存続し、「死後の世界」で生き続けると考える立場です。
第三は、「死後の世界の半信半疑論」と呼ぶべきものであり、宗教が語る「死後の世界」について、どこかに、その存在を信じたい思いはありながらも、現代の科学が「死後の世界」を明確に否定していることから、なかなか「死後の世界」の存在を積極的に信じることができない立場です。
そして、おそらく、現代人の多くは、実は、この第三の立場に立っているのでしょう。
私が生まれるもっと前、世界の進歩はなく、未来に希望もなく、世界は常に変わらず、死後の世界はあるから残された時間は無限。という思考が根付いていたから生に飛び付かなかった。
今の時代、死後の世界は信じられないし、残された時間は有限という考え方に変わった。— ryophcurry (@ryo_no_nikki_yo) November 18, 2022
「科学」は、現代における「最大の宗教」
そのことを象徴するのが、「墓参り」や「神社・仏閣参拝」です。
例えば、「あなたは、死後の世界の存在を信じますか」と問われれば、「人間は、死ぬと無に帰すると思います」と答える人でも、一方で、毎年の墓参りを怠らず、墓前では、亡くなった両親に対して「お陰さまで、家族皆、元気に過ごしています」などと報告することは、決して珍しくありません。
また、例えば、「あなたは、神や仏の存在を信じますか」と問われれば、「いえ、そうしたものは存在しないと思います」と答える人でも、ひとたび、家族が深刻な病気になったり、大きな事故に遭ったりしたときは、神社や仏閣に参拝し、病気治癒や健康回復などの祈願をし、家族の無事を祈ることも、決して珍しくないのです。
では、こうした「死後の世界の半信半疑論」や「神仏の存在の半信半疑論」とでも呼ぶべき第三の立場の人が、なぜ、数多く生まれてくるのでしょうか。
その理由を端的に述べるならば、多くの人々は、深層意識のどこかに、
「死後の世界があると信じたい」
「神仏の存在を信じたい」
という思いを抱きつつも、現代の科学が、その存在を明確に否定しているため、
表面意識では、「死後の世界は存在しない」「神仏は存在しない」と考えているからでしょう。
若沢:宗教勧誘の人に「死後の世界についてご存知ですか」と言われたので、「死んだが事ないので分からないです」と答えたら「では教えてさしあげます」と言われてビビった
— HRSWコピペ改変bot (@bot75150481) November 18, 2022
「最大の宗教」としての「科学」
そして、こうした矛盾が起こる背景には、「科学」というものが、現代における「最大の宗教」になっているという、奇妙な状況があります。
たしかに、これまでの歴史において、「科学」は、人々の生命と健康を守り、生活を便利で快適なものにするために、極めて多くのことを成し遂げてきました。
この「科学」が成し遂げた素晴らしい成果や業績は、誰もが認めるものででしょう。
しかし、その結果、現代においては、「科学」というものが、我々の意識に最大の影響力を持つ存在となり、いわば「最大の宗教」となってしまっているのです。
そして、その「科学」が、「神秘的な現象」の存在を否定し、「死後の世界」の存在を否定しているかぎり、この二つを肯定している「宗教」とは、決して、交わることがありません。
では、なぜ、現代の「科学」は、「神秘的な現象」や「死後の世界」を否定するのでしょうか。
もし自殺に踏み切れたら、2分以内に意識が無くなってほしい。脳が死んだら意識は完全に消滅してほしい。死後の世界も生まれ変わりもありませんように。
— Mo.mo (@dkxigork) November 15, 2022
ネットの声
「3つに分類されるとなっているけれど、個人的にはこの3つに分類されない。科学的な考えからすると、死後の世界が絶対ないとは言えないとなる。なんでもそうだけれど、絶対あるは、再現性のある方法を見いだせれば証明できる。でも絶対ないは、科学的にも言い切れない。ドリカムの歌の一節じゃ無いけれど、1万回駄目でも1万1回目には出来るかもしれない。絶対ないを証明するのは悪魔の証明と言われる程です。なので、個人的には死後の世界はあるかもしれない。今の科学では見つけられていない新しい物理法則によって証明できるかもしれない・・と思ってます。」
「体はハードウェア、意識はソフトウェア。ハードは壊れるけどソフトは壊れない。新たなハードにインストールすれば復活する。だれがインストールするか?宗教では神。科学ではまだ不明、という事でしょうね。ただし、この世界が唯一という前提が正しいとすれば、だけどね。」
「ソ連時代のモスクワ放送で死後の世界を発見したと言う深夜放送を聞いたことがある。静止衛星軌道の少し内側なんだとか!超昔の話ですが、現在でも宇宙に行った人が体験した話ってありますよね。何かが有るのでしょうが確定的な証拠はない。」
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