【思い出の名馬】俺たちの最強馬…大逃げのサイレンススズカ

最初からかっ飛ばす…大逃げのイメージの強いサンレンスズカ。

そんなサイレンススズカもデビューから1年は、先行よりも最初はガマンして末脚を活かしたレース展開が主でした。

結果はそれほど芳しいものではなく、気性の荒さも手伝って騎手を振り落としてしまったこともあったのです。

それでも、新馬戦の勝利から素質は抜群なものがありました。

初年度は低迷したのですが、香港国際カップで武豊と初コンビを組むことでようやく素質が開花。

香港国際では5着と振るいませんでしたが、それ以降国内のレースで連戦連勝を続けることになります。

今はウマ娘…昔はダービースタリオン

ウマ娘プリティダービーでサイレンススズカを知った人も多いでしょう。

特に、20代の若者世代ではサイレンススズカの走りを生で見た人はいません。

20年前の最強馬といったらサイレンススズカ。

ゲームのダービースタリオンをやりこんだ人にとっては忘れることのできない名馬です。

今のアラフォー世代ですね。

サイレンススズカといったら、ある種の郷愁とともに思い出す人も多いでしょう。

追込み型のレースも手に汗を握りますが、大逃げが競馬の花です。

一度たりともトップを譲らず、スタートからずっと先頭で走り続け、さらに後続馬を置き去りにする加速力。

見ていて爽快感のあるレースです。

競馬用語で『大逃げ』とも呼んでいるのですが、それができた馬がサイレンススズカだったのです。

今は華やかな競馬場ですが、つい20年ほど前は、耳に赤ペンを挟んだおじさんたちが競馬新聞を握りしめて競馬場に脚を運んていました。

そんなおじさんたちの心を鷲づかみにしたのがサイレンススズカでした。

何しろ、一度トップに立ったらそのままゴールするのですから、序盤で勝負が決まるといってもいいでしょう。

サイレンススズカはそういった馬でした。

それでも、そんな走りで大逃げを決めたのは、最後の1年だけでした。

実働2年で前半の1年と後半の1年は、同じ馬とは思えないほどその走りに違いがあったのです。

サイレンススズカが光り輝いたのは、後半の1年でした。

最強馬は?

競馬ファンなら誰の心にも自分の最強馬がいることでしょう。

多くの人はディープインパクトかもしれませんし、最強牝馬のアーモンドアイかもしれません。

キタサンブラックもいいですね。

それでも、やっぱり往年のファンにとってサイレンススズカは別格です。

やっぱり勝ちっぷりがいいんですよ。

後半の1年は鬼のように速かった…。

パッとしなかったスズカが覚醒したのは、金鯱賞でのレースでした。

後半の98年はすでに3勝して、4連勝がかかったレース。

序盤からいつものように積極的に前に出ます。

グングン後続馬を引き離していきます。

「最初からそんなに飛ばしてどうせ続かないだろう…」

誰もがそう思います。

しかし、最初から最後まで逃げ続けるスズカ。

最後は10馬身もの差をつけて圧勝するのです。

大逃げといっても、ずっと飛ばしているのでラストの直線は後続馬に詰められるのが普通のレース。

それが、最後の最後までスズカは馬群を置いてきぼりにしたのです。

金鯱賞での圧倒的なスピードは今でも語りぐさです。

競馬ファンならわかるのですが、大逃げはほとんど勝てません。

それでも、大逃げを仕掛けるのは「目立つから」です。

ファンの脳裏に焼き付くわけですね。

大逃げは「競馬の花」と言われる所以です。

しかし、予想を立てるとなると「大逃げ馬」を本命にすることはまずありません。

ラストの直線でバテて、差されることがほとんどだからです。

よほど展開が良いレースか、バテバテでもなんとかハナ差で逃げ切るか…。

それが、金鯱賞でのスズカは最後の最後まで後続馬を引き離していったのです。

並みいる競馬ファンも、後にも先にもここまでの大逃げのレースは見たことがないと口を揃えて言っています。

GⅡレースということを差し引いてもすごいレースでした。

このレースを見た人は、サイレンススズカが最強馬という人が多いのです。

1レースでこれですから、本当にすごいレースだったのがわかるでしょう。

宝塚記念から天皇賞(秋)まで

金鯱賞はすごかったけど、宝塚記念GⅠはそうはいかないだろう…。

たしかにそうだったのですが、宝塚記念も最初から最後までトップでした。

最後ステイゴールドにつかまりそうになりますが、それでも逃げ切ったのです。

伝説のGⅡ毎日王冠

GⅡレースながらGⅠ並みの注目度となった毎日王冠。

現役最強馬といわれるグラスワンダーとエルコンドルパサーを迎え撃ったスズカ。

もちろん、最初から飛び出すスズカ。

大逃げのすがすがしいのは何の駆け引きも迷いもなく飛び出すところ。

そして、馬群に沈むことなく勝つのですからすごいのです。

98年の毎日王冠の出走馬は9頭…少ないですよね。

スズカとグラスワンダーとエルコンドルパサーのそろい踏みに他の馬が敬遠したとか…。

『どこまで行っても逃げてやる』の名実況が懐かしい。

運命のレース…天皇賞(秋)

予想通り圧倒的なスピードで飛ばすスズカ。

後続を引き離し続けるレース展開。

しかし、第3コーナーで失速…。

あっというまに馬群に飲み込まれていったのです。

何かトラブルがあったのは誰の目にも明白です。

左前脚の手根骨粉砕骨折を発症。

結果、予後不良で安楽死の処置がとられました。

後続10馬身の差を付けての急減速。

鞍上の武豊も「落馬していたら死んでいた」というほどでした。

振り落とすことなく、他の馬の邪魔になるようなこともなく、安全な場所まで運んでいくスズカの優しさに涙しました。

速いだけではなく心優しい名馬でした。

当時は「スズカ」ではなく、「ススズ」と呼んでましたね。

今は「スズカ」で通っているのは、ウマ娘の影響なんでしょう。

数多くの名馬がいますが、サイレンススズカの走りは今でも鮮烈に記憶の中に残っています。



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