平成の時代も終わり…何故か昭和を懐かしむ声が多くあがっています。
昭和のすべてが良いというわけではありませんが、確かに熱気がありましたね。
高度成長の時代もそうでしたし、昭和の最後を飾るバブル期も熱病のような活気に溢れていまいた。
戦後生まれの人にとって、青春の象徴だった時代。
その時代の娯楽の象徴といえばクルマにバイクだったのです。
ここでは、その時代にちょっと尖った感じの三菱ギャランGTO2000GSRをご紹介します。
1973年登場の三菱 ギャランGTO 2000GSR
昭和は遠くなりにけり…昭和時代が青春だった人だと現在は50代以降ということになるでしょう。
そういう人たちにとって昭和はまさに思い出の宝庫と言えそうです。
それ以降に生まれた人でも、昭和の時代に思いを馳せるのもけっこういいものかもしれません。
そこで、三菱ギャランGTO2000GSRです。
1973年(昭和48年)1月に発売された2リットルのスペシャリティクーペです。
見た感じが当時人気だったトヨタのセリカリフトバック2000GTに似ています。
とくにダックテールなどはそっくりで、ヒップアップクーペなんて呼ばれていました。
とはいってもGTOの場合、2000GSRがフラッグシップというわけではなかったのです。
というのも、GTOの走りはDOHCエンジンを積む1600ccのMRだったのです。
しかし、このMRは排ガス規制を乗りきることができず、早々に姿を消してしまいました。
生産台数も数百台ということで、こちらのほうは長い間プレミア価格になってましたよ。
同じGTOの系譜でもMRと前後して登場した17Xシリーズは、SOHCエンジンを搭載。
こちらはMRの125psからかなりトーンダウンした105ps/15.0kgmからスタート。
それでも、シングルキャブ仕様のSOHCエンジンで、当時としては立派なスポーツタイプでした。
そこから、トロンバーグタイプの2バレルキャブを2連装したXIIは最高出力が115ps/6500rpm、最大トルクが15.2kgm/4500rpm二審か。
さらには、オートマチック仕様まで加えられたのです。
ここからさらに熟成されて、1973年に2000GSRの登場ということになったのです。
アストロンエンジンを搭載
17Xシリーズの末期には、2リットルのアストロンエンジンが搭載されています。
これに、今でも人気の高いフロントグリルを一新して2リットルモデルのGSRが誕生したのです。
登場時、MR以上の衝撃を持って迎えられたのは、オーバーフェンダーで武装したスパルタンな外観が大きな要因でした。
パワーは115psということでしたが、当時の若者への訴求効果は抜群だったのです。
さらに、モデルチェンジされたGTO2000GSRは、エンジン面がさらに強化され、4G52型4気筒SOHCアストロンエンジン、ソレックスツインキャブを搭載して最高出力は、125ps/6200rpmをたたき出しました。
5速マニュアルミッションを駆使すれば、最高速度は190km/hにも達したのです。
そして、0→400m加速も16.5秒で駆け抜けました。
一方で、1975年にはオーバーフェンダーが廃止、1976年に後継のギャランΛ(ラムダ)が登場するまで第一線で活躍し続けたのです。
ギャランGTO 2000GSR 主要諸元
- 全長×全幅×全高:4125×1655×1315mm
- ホイールベース:2420mm
- 重量:1015kg
- エンジン型式・種類:4G52型・直4 SOHC
- 排気量:1995cc
- 最高出力:125ps/6200rpm
- 最大トルク:17.5kgm/4200rpm
- トランスミッション:5速MT
- タイヤサイズ:185/70HR13
- 価格:94万3000円
当時のインプレッション
昭和50年式のGSRを7年落ちの昭和57年に購入。購入価格は驚きの35万円でした。
とはいって、新車価格が94万円で生産終了だったことを考えると相応かちょっと高かったかも。
ガソリンは有鉛ハイオク仕様で、無鉛ガソリンよりもリッターで20円増しでしたね。
当時はガソリンがバカ高くて、有鉛ハイオクがリッター200円近い時代です。
空から満タンにしたら楽に1万円はかかっていましたよ。
スピードは出ましたよ。
5速からも軽々加速するパワーにほれぼれしました。
燃費が悪く、当時学生だったので常に金欠でしたが…。
現在と比べて見ると、足回りが硬すぎて乗り心地が悪い(シートも硬かった)。
パワステじゃないので重すぎて車庫入れするだけでも体力奪われてましたね。
そのためパワステ車に乗ったときの驚きとか喜びといったものがすごかった…。
それでも、よく走ったし、何よりもかっこよかった。
メーター類が多かったのも自慢でした。