トヨタ2000GT…今でもマニア垂涎の国産スーパーカー ボンドカーにもなったよ!

日本が誇るスーパーカートヨタ2000GT。

非の打ち所のない流麗なフォルムは今でも十分通用するほど。

ドアミラーよりもフェンダーミラーっていいねと思わせるくらい秀逸です。

ここでは、トヨタ2000GTの思い出も含めて今なお人気を集める理由を探ってみます。

トヨタ2000GTが幻の名車と言われる所以

トヨタ2000GTは1967年から1970年にかけて生産されました。

当時のトヨタというと、日本では最大のカーメーカーではあったのですが、1960年代はまだまだ国産車の黎明期と言われた時代です。

欧米の車と比べてもまだまだ、劣っていた部分がたくさんあったのです。

日本国内ではイメージリーダーとして確固たる地位を築いていたトヨタですが、フラッグシップとなるスポーツカーを持っていませんでした。

クラウンをはじめセダン系は強く、米国市場ではトラックのトヨタのイメージが付いていた時代です。

そこで、トヨタの技術の全てをかけて作られたスポーツクーペがトヨタ2000GTでした。

特徴として、DOHCエンジン、4輪ディスクブレーキ、ラック・アンド・ピニオン式ステアリングが挙げられます。

これらは、欧米のの高級スポーツカーに搭載されていた装備です。

現在では、一般的な車にも搭載されている装備ですが、当時は最新のメカニズムだったのです。

心臓部となるエンジンの開発は、ヤマハ発動機も参加。

四輪自動車の販売ができなかったヤマハ、スポーツカーの生産ノウハウがなかったトヨタ。

双方の思惑がマッチしたことによって、共同開発されました。

ヤマハはエンジンの高性能かを、トヨタはシャシーを含めた全体のレイアウトやデザインを担当。

当時のライバルは、GTRが世に出る前のプリンス・スカイライン、そしてポルシェです。

実は、ヤマハは日産とも四輪開発を計画したいたそうですが、それが頓挫します。

主だった技術者が2000GTの開発に回った野茂幸運でした。

ライバルにレースで勝利することが、消費者に対してメーカーイメージの向上と車販売に対する訴求効果が生まれるのです。

トヨタ2000GTの生産台数は4年間で237台です。

この生産数の少なさも幻の名車と言われる所以となっています。

これぞスポーツカーといった外観

トヨタ2000GTは見た目がすごくかっこよかったのです。

角ばったようなセダンが主流の当時としては、特徴的な流線型のロングノーズは新しい時代の到来を予感させるに十分でした。

そして、乗る人を選ぶようなショートデッキの垂涎の的でした。

全体的にコンパクトにまとめた車体は、高さを抑えるためにリトラクタブルタイプとなりました。

逆に車高を抑えすぎたために当時の規格に遭わず、高さを確保するためにリトラクタブルタイプになったという説もあります。

ロングノーズのボンネットにはヤマハが開発した6気筒エンジンが格納されています。

しかし、ボンネットに収めるべきバッテリーやエアクリーナーは、それぞれ運転席側、助手席側に収納されています。

限られたコンパクトなスペースにもはや芸術的ともいえる機器類が設置されていたのです。

内観は木目パネルで和風を演出

車内はヤマハ発動機の木工技術を活かした技術が取り入れられています。

ウッドステアリングや木目のインストルメントパネルなどです。

多くのメーターも走り屋の気分を高揚されてくれますね。

当時としては、まだまだ少なかった3点式のシートベルト、前後の調整機能などがあるインテリアなどの先進性にも目が引かれます。

また、それほど厚みがないように見えるシートですが、ホールド性が高いシートであることも、スポーツカーであることの証となっています。

肝心のスペックも世界トップクラス

心臓部となるエンジンは2L直列6気筒DOHCエンジンです。

さらに、三国工業がライセンス生産していたソレックス型3連キャブレターを搭載し、最高出力は150psでした。

これは、当時の国産車の中ではトップレベルの出力を実現しました。

実際の性能は、5速MTと組み合わせて走ると、0-400mは15.9秒、最高速度220km/hを実現。

当時の2Lクラスの車の中では、世界トップレベルの性能となったのです。

レースに勝つためのエンジンやスペックと思いがちですが、クラウン用として量産されていた、エンジンブロックを流用していたので、実用に敗よしたパワーユニットとなっているのも特徴といっていいでしょう。

そのため、行動でも扱いやすいエンジンとなったのです。

2000GTってレース結果はどうだった?

トヨタ 2000GT

2000GTは高性能スポーツカーとして、レースにも多数参戦しました。

そして、輝かしい成績も残してるんです。

例えば、1966年5月の第三回日本グランプリ…このときは発売前のプロトタイプモデルだったのですが、3位に入っています。

そして、1966年の鈴鹿1000kmレースではワンツーフィニッシュで優勝。

耐久レースで強さを発揮していますよ。

また鈴鹿500kmレースでの優勝や富士24時間レースでもスポーツ800と並んでデイトナフィニッシュ。

ライバルを凌駕する強さを発揮していました。

市販前年の1966年は、さらにスピード・トライアルに挑戦。

合計13のカテゴリーにエントリーして、13の国際新記録と3つの世界新記録を記録。

2000GTのスペックの高さ内外に知らしめたのです。

後年、これらの記録はポルシェ911Rによって破られることになりましたが、国産スポーツカーの性能の高さを証明するには十分すぎるほどの実績となりました。

お高いんでしょう?

2000GTの車両価格ですが…

2000GTの当時の販売価格は、238万円ほどです。

意外に安いのでは??

半世紀以上前ですから、当時の価格を現代の価値に換算すると、約2,000万円くらいになるようです。

NSXやGTRよりも高いですね。

それでも、2000GTは採算度外視の手作り…売っても儲けがないとのことでした。

一般の人からは、高嶺の花の高級スポーツカー…メーカー側からしても売っても売っても赤字というコストバランスが崩れていた車だったのですね。

開発にも莫大な費用がかかったとされています。

それほどまでして高性能の車を生産したいというトヨタの希望が託された車だったのですね。

それもこれも当時のトヨタはスポーツカーの性能で苦戦していたからなのです。

そこで、当時の給料からするとほとんどの人が購入できない車両価格でありながら、コストも採算度外視のものとなったのです。

現代でも人気がある2000GT。

当然、中古市場ではほとんど出回りません。

仮に出回ったとしても、フェラーリのような価格帯、またそれ以上のお金が必要になるでしょう。

イベントに出展していたビンテージカーヨシノの2000GTでは、価格は1億3000万円となっていました。

レストアされた極上車の場合では、それ以上の価格になるのは必至でしょう。

ボンドカーにもなった2000GT

2000GTはスポーツカーとして名を知られていただけでなく、映画にも登場してしています。

ポンドカーとして、日本を舞台とした「007は二度死ぬ」に登場したのです。

この映画、元々はシボレー・カマロを使用する予定だったようです。

しかし、日本での撮影ということで日本車を使う方が良いとなったのは撮影側の英断でしたね。

ボンドカーを当て込んでいたわけではありませんが、グッドタイミングだったのは間違いありません。

しかし、ボンド役のショーン・コネリーがあまりに長身だったことで、撮影車と予備車の2台の2000GTは、市販車としてはラインナップされなかったオープン仕様に改造されるというオチが付きました。

他には、「真夜中のスーパーカー」に登場しています。

これには、実際に2000GTを所有している俳優の唐沢寿明氏が出演していますよ。

また、「ラストコップ THE MOVIE」に私物の2000GTが登場しています。

どこで見ることができるの?

2000GTの特徴や当時の活躍をご紹介してきました。

今での人気のトヨタ2000GTですが、希少性や価格から個人での購入はほぼ不可能といえます。

熱心なコレクターが所有していることから、手放すことはなく、仮にあったとしてもオークションなどで価格がつり上がることが容易に予想できます。

それでも、2000GTの実物を見たいという人は多いでしょう。

一番はお膝元である、トヨタ博物館。

ここに、2000GTが展示されています。

展示車両といっても稼働可能ということで、イベントなどでは敷地内を自走することもあるそうですよ。

見るとビックリするくらい綺麗な車体です。

トヨタ2000GTを見るならトヨタ博物館で決まりですよ。
https://toyota-automobile-museum.jp/
交通アクセス
鉄道:愛知高速交通東部丘陵線(リニモ) 芸大通駅下車 徒歩で約5分。
路線バス:名鉄バス トヨタ博物館前下車 徒歩で約5分。
自動車:駐車場300台(無料)愛知県道60号名古屋長久手線沿い[6]。名古屋瀬戸道路長久手IC付近。

おすすめの記事